週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
90年前は 成城学園で 坪単価5円
世田谷区成城といえば、高級住宅地として知られ、田園調布は財界人の町、成城は学者の町と並べられたりする。しかし、その成城も昭和の初年には東京府北多摩郡
成城の地名が学校法人成城学園から生まれたことは言うまでもないが、当初は地元の喜多見に遠慮して喜多見成城でスタートした。小田急が開通して成城学園前駅が誕生したのが昭和2年のことで、学園側が駅の用地を小田急に寄付して出来たのである。
小田急開通前の成城玉川小学校に通ったという卒業生の貴重な記録がある。成城の住人である中江泰子・井上美子著『私たちの成城物語』(河出書房新書)で、俳人の井上さんは大正14年に開校したばかりの小学校に目白から通学したという。
<目白駅から省線(現在のJR山手線)で新宿へ。甲州口(今の南口)で、京王電車に乗り換え、車掌が後尾に乗っていて紐を引っ張るとチンチンと鳴り、2輌の小さな電車が動き出す。牛車や馬車が野菜などを積んでのんびり通る甲州街道に沿って烏山で下車、もちろん駅などはなく、ただ地面に降りるだけだった。迎えに来ているスクールバスに生徒たちは乗り込む。(中略)小学生が優先で乗り切れない大きい学生は徒歩で約4キロを畑や野川を越えての通学>
大正6年に牛込区(新宿区)原町に創設された成城学園が、関東大震災後に郊外に求めた新天地で、予定の校地は「7万9200m2(2万4000坪、坪単価5円)」(『成城学園80年』)だった。学園はさらに周辺用地を整備して新しい町を造る。
(掲載号:06月24日号)
