週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
油免が 転じて 油面に
油面小学校、油面公園などの他、目黒区の中央部には「油面」という名の通りや交差点、バス停がある。初めて見る人は何と読むのか戸惑うが、字のとおり「あぶらめん」が正解である。
油面は、現在の中町1丁目の全域と同2丁目、中央町2丁目の一部を含んだ地域の旧字名、つまり地名だった。同区には他にも碑文谷 、衾( 、碑衾( 、田道( などの難解な読みの新旧地名があるが、油面もその1つに違いない。
江戸時代中期、旧油面一体では菜種・菜の花の栽培が盛んに行われた。菜の花といえば、今は観賞用か食用の植物としてなじみ深いが、当時はもっぱら種を灯油の原料とするために栽培された。
昔は灯油の値段が、他の物価に比べて高かった。
「燈火用の油が甚だ高い。米の三倍乃至四倍、酒の倍ぐらいしました。……吉原のように賑やかな、繁昌な場所でも、元禄前後のところでは第三流位いの女郎屋になると魚油を使っているから、真っ黒に燻った煙がどんどん上がっている」『三田村鳶魚江戸生活辞典』(稲垣史生編、青蛙房)「油の商法」の一節で、芝居も日没で終わりだった。
「夜になれば江戸は真暗だといってもいい位いである。吉原が明るい明るいといっても蝋燭や魚油の燈火だけの話だから、決して明るいものではない。そうして又その代価が非常に高いものだったのであります」
油面で採れた菜種からできる油は当然、江戸市民とは無縁の存在だった。将軍家の菩提寺である芝の増上寺やその流れをくむ祐天寺の灯明用として奉納されていた。このため、その油を搾る者は租税を免除されていたという。
つまり、油作りで税が免ぜられた村ということで「油免」と呼ばれ、それが油面になったといわれる。
油面は、現在の中町1丁目の全域と同2丁目、中央町2丁目の一部を含んだ地域の旧字名、つまり地名だった。同区には他にも
江戸時代中期、旧油面一体では菜種・菜の花の栽培が盛んに行われた。菜の花といえば、今は観賞用か食用の植物としてなじみ深いが、当時はもっぱら種を灯油の原料とするために栽培された。
昔は灯油の値段が、他の物価に比べて高かった。
「燈火用の油が甚だ高い。米の三倍乃至四倍、酒の倍ぐらいしました。……吉原のように賑やかな、繁昌な場所でも、元禄前後のところでは第三流位いの女郎屋になると魚油を使っているから、真っ黒に燻った煙がどんどん上がっている」『三田村鳶魚江戸生活辞典』(稲垣史生編、青蛙房)「油の商法」の一節で、芝居も日没で終わりだった。
「夜になれば江戸は真暗だといってもいい位いである。吉原が明るい明るいといっても蝋燭や魚油の燈火だけの話だから、決して明るいものではない。そうして又その代価が非常に高いものだったのであります」
油面で採れた菜種からできる油は当然、江戸市民とは無縁の存在だった。将軍家の菩提寺である芝の増上寺やその流れをくむ祐天寺の灯明用として奉納されていた。このため、その油を搾る者は租税を免除されていたという。
つまり、油作りで税が免ぜられた村ということで「油免」と呼ばれ、それが油面になったといわれる。
(掲載号:07月15日号)
