週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
成城の隣人 大岡昇平と 大江健三郎
「野川」という小川は、JR中央線・国分寺駅西方の 恋ヶ窪 の池から流れ出す。野川は武蔵野台地のハケに湧き出す清水を集めて南流し、調布市、世田谷区成城を経て、東急田園都市線・二子玉川駅付近で多摩川に合流する。
大岡昇平は小説『武蔵野夫人』のなかで、ヒロインの道子の心の動きと同じように、1本の小川がゆっくりと流域を潤していくありさまを丹念に描いている。それがこの作品の魅力なのだが、ハケというのは、武蔵野台地が多摩川に向かって落ち込む崖線で、地学的には国分寺崖線( と呼ばれている。武蔵野に降った雨水は、この崖線で清水になって湧きだし、水温は16度前後(年平均)だという。
太平洋戦争の末期、フィリピン・ミンドロ島で死線をさまよった大岡は、昭和23年に『俘虜記』を発表して作家としての地位を確立した。その後も、敗走のなかで体験した人間の極限状況を追求して『野火』『レイテ戦記』などの名作を残した。
大岡は、明治42年東京の牛込に生まれたが、幼時から渋谷で育ち、旧制成城高校(現・成城大学)に入っている。成城の同級生に富永次郎がいて、大岡はその兄の太郎(早世した天才的詩人)に傾倒した。これがきっかけで小林秀雄、中原中也などと交友を深めることになったが、この富永兄弟の住家が小金井のハケにあり、小説の舞台となったのである。
晩年、大岡昇平は成城の住人となった。昭和54年の随筆『隣人大江健三郎』で、大岡は成城駅前を散歩していて、自転車に乗った大江によく会ったと書いている。
<(大江の)その自転車の前の荷受けには、その日の夕食のおかずの材料が入っている>ため、2人は喫茶店などに立ち寄って話すことはできなかったそうである。
大岡昇平は小説『武蔵野夫人』のなかで、ヒロインの道子の心の動きと同じように、1本の小川がゆっくりと流域を潤していくありさまを丹念に描いている。それがこの作品の魅力なのだが、ハケというのは、武蔵野台地が多摩川に向かって落ち込む崖線で、地学的には
太平洋戦争の末期、フィリピン・ミンドロ島で死線をさまよった大岡は、昭和23年に『俘虜記』を発表して作家としての地位を確立した。その後も、敗走のなかで体験した人間の極限状況を追求して『野火』『レイテ戦記』などの名作を残した。
大岡は、明治42年東京の牛込に生まれたが、幼時から渋谷で育ち、旧制成城高校(現・成城大学)に入っている。成城の同級生に富永次郎がいて、大岡はその兄の太郎(早世した天才的詩人)に傾倒した。これがきっかけで小林秀雄、中原中也などと交友を深めることになったが、この富永兄弟の住家が小金井のハケにあり、小説の舞台となったのである。
晩年、大岡昇平は成城の住人となった。昭和54年の随筆『隣人大江健三郎』で、大岡は成城駅前を散歩していて、自転車に乗った大江によく会ったと書いている。
<(大江の)その自転車の前の荷受けには、その日の夕食のおかずの材料が入っている>ため、2人は喫茶店などに立ち寄って話すことはできなかったそうである。
(掲載号:08月12日号)
