週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

荘園名を 名乗る 小学校

 現在、目黒区青葉台3丁目に「 菅刈 (すげかり) 」という名の区立小学校がある。明治8年の創立で、旧目黒村初の公立小学校だった。100年以上の歴史を誇る小学校だが、その名前はもっと古い時代に存在した荘園の名にちなんで付けられたものである。

 「この莊園をかうふる村々、今二十七村あり、……郡の西の方半はこの庄名を唱ふる村々なれは、其左右の村は今傅へすといへとも大様此庄の内なるへし、但東の方の諸村は、庄名を帶る處一村も聞えされは、 (ここ) にも古くは庄名ありしならん」

 『新編武蔵風土記稿』の「菅刈」についての記述で、「郡」とは荏原郡のことである。その範囲は現在の品川・目黒・大田・世田谷区と港・千代田区の一部に及んでいた。ここに「菅刈莊」、または「菅刈庄」という地域があった。

 荘、庄は荘園のことで、荘園の名を受け継いだ地名の最後に付けられた。つまり、菅刈はその昔の荘園だったと推定される。同書は「上目黒村」についても「郡の北の方にあり、菅刈庄に属す」と記している。

 菅刈荘は今の菅刈小学校近辺だけではなく、かなり広い範囲に及んでいた。もっとも同小学校は現在の上目黒3丁目の烏森稲荷神社近くに創立され、同5丁目を経て現在地には明治41年に移転した。要するに、所在地はどこも旧菅刈荘内だった。

 現在、玉川通りに面する丘上に鎮座している大橋の氷川神社石段下に「武州荏原郡古菅刈荘目黒郷 文化13年9月」と刻まれた供養塔が建っている。世田谷区の九品仏浄真寺境内の鐘には「荏原郡菅刈荘」の銘が刻まれている。

 今の目黒区の西半分と世田谷区の東半分にわたる地域が菅刈荘と推定される。明治の人は、古い地名を校名に残してくれた。

(掲載号:09月02日号)