週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
経堂に 由縁の 福昌寺
小田急線で新宿を出る。豪徳寺を過ぎると、経堂、千歳船橋、祖師ヶ谷大蔵 と続く。偶然だが、千歳船橋を除いていずれも仏教に縁のある駅名が続くのである。
豪徳寺は、室町時代の文明12年(1480)に世田谷吉良( 氏が創建し、江戸時代に彦根藩の井伊氏が菩提寺とし、井伊直弼( の墓があることでよく知られている。寺は駅から南へ500mほどのところだ。
祖師ヶ谷大蔵駅は、駅の北側に世田谷区祖師谷( があり、南方に同区大蔵がある。祖師谷の地名は、釣鐘池(世田谷区祖師谷5-33)付近にあった古寺の祖師堂から出たといわれている。祖師といえば一宗一派の開祖のことをいう。祖師を祭るお堂があったほど立派な寺だったというのだが、今は伝承が残るだけで寺の跡もはっきりしない。
その点、経堂はわかりやすい。経堂駅のすぐ南、徒歩3分のところに経堂山福昌寺( がある。江戸幕府が編纂した地誌『新編武蔵風土記稿』には、元禄年間(1688-1704)に経堂と書いていたと記録されている。ここに村が開かれたのは、やはり室町時代のことだろうか。
福昌寺を開いた玄畝( 和尚は寛永8年(1631)没というから歴史は古い。開基の松原弥右衛門は中国から帰化した医師で、世田谷吉良氏の遺臣ともいう。屋敷に漢方の医書を多数所蔵していたため、これを経典を思い込んだ里人が経堂と呼んだのが地名になったという。
また、関東では珍しい京風の堂があったので「京堂」、あるいは仏典を収めたお堂だったので「経堂」という説もあるが、江戸時代初期から経堂であることは間違いない。
やはり古い地名に石仏耕地があり、いま経堂−千歳船橋間の小田急線路沿いに区立石仏( 公園(世田谷区経堂3-6)が残っている。
豪徳寺は、室町時代の文明12年(1480)に
祖師ヶ谷大蔵駅は、駅の北側に世田谷区
その点、経堂はわかりやすい。経堂駅のすぐ南、徒歩3分のところに
福昌寺を開いた
また、関東では珍しい京風の堂があったので「京堂」、あるいは仏典を収めたお堂だったので「経堂」という説もあるが、江戸時代初期から経堂であることは間違いない。
やはり古い地名に石仏耕地があり、いま経堂−千歳船橋間の小田急線路沿いに区立
(掲載号:09月16日号)
