週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
祭神は 土中から 出現したが
東急東横線・東京メトロの中目黒駅北方を流れる目黒川の沿岸は、上流に向かって両岸共ソメイヨシノの並木道になっている。その目黒川に架かる緑橋を北側に渡って最初の十字路を東へ曲がると、道の南側に面して小さなお宮が鎮座している。
石の鳥居には「北野神社」という扁額が掲げてあり、一対の石の狛犬もあるが、社殿らしきものはない。敷地奥の石の台座に小さな石造の祠が乗っていて、これが御神体を納めたお宮と思われる。すぐ隣にはお稲荷さんが祀られていて、こちらのほうは赤い鳥居や幟が立っていて本体のお宮より目立っている。
もっとも境内には神輿倉があり、神主さんは常駐していないが、祭りはきちんと行われていることをうかがわせる。事実、毎年9月に大橋にある旧上目黒村の鎮守・氷川神社の神官によって例祭が行われているそうである。
狭い境内の割には、梅の木が何本も生えている。祭神が菅原道真・天神さまだからで、小なりとはいえ『江戸名所図会』に「天満宮」として掲載されている神社である。
「同所駒場野、道玄坂より一町半ばかり東の方にあり。相伝ふ、往古 この地の農民市兵衛といふもの、地を 穿( ちて小さき壺の中より、 印子( の菅神の像を感得せりといふ。(坐像一寸四五分とぞ)故にこの地に宮居を営みて、鎮守に祟むると云ふ」
この場所は北野神社の旧地で、現在の西郷山公園の中にあった。『図会』の当時は豊後(大分県)岡城主中川修理太夫の抱え地だった。同書は「中川侯の山やしきの中」としている。また金の天神像は残念ながら盗難に遭ってしまった、ともある。
青葉台1丁目の現在地には明治13年に移ったと『めぐろの文化財』(目黒区教委編)は記録している。
石の鳥居には「北野神社」という扁額が掲げてあり、一対の石の狛犬もあるが、社殿らしきものはない。敷地奥の石の台座に小さな石造の祠が乗っていて、これが御神体を納めたお宮と思われる。すぐ隣にはお稲荷さんが祀られていて、こちらのほうは赤い鳥居や幟が立っていて本体のお宮より目立っている。
もっとも境内には神輿倉があり、神主さんは常駐していないが、祭りはきちんと行われていることをうかがわせる。事実、毎年9月に大橋にある旧上目黒村の鎮守・氷川神社の神官によって例祭が行われているそうである。
狭い境内の割には、梅の木が何本も生えている。祭神が菅原道真・天神さまだからで、小なりとはいえ『江戸名所図会』に「天満宮」として掲載されている神社である。
「同所駒場野、道玄坂より一町半ばかり東の方にあり。相伝ふ、
この場所は北野神社の旧地で、現在の西郷山公園の中にあった。『図会』の当時は豊後(大分県)岡城主中川修理太夫の抱え地だった。同書は「中川侯の山やしきの中」としている。また金の天神像は残念ながら盗難に遭ってしまった、ともある。
青葉台1丁目の現在地には明治13年に移ったと『めぐろの文化財』(目黒区教委編)は記録している。
(掲載号:09月23日号)
