週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

船橋谷が あった 室町時代

 小田急線の経堂−千歳船橋間の線路に沿った北側に区立 石仏(せきぶつ) 公園(世田谷区経堂3-6)がある。ささやかな敷地だが、緑陰に噴水があり、幼児が水遊びを楽しんでいる。一隅に地蔵が祀られ、花が供えられている。

 江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』には、 経堂在家(きょうどうざいけ) 村(いまの世田谷区経堂)の項に「石仏耕地」の地名があり、「村の中央にあり」と書いている。このあたりの地中から石室などに使うような石がよく出土する。だから、昔の人が経典を埋めた石室というのはここだと村人は言っている。そういう説明で、石室の上にお堂があったのが経堂の地名の起源という説も紹介している。石仏公園の名には、由緒があるのである。

 由緒といえば、お隣の船橋もヒケをとらない。室町時代に世田谷領主だった 吉良頼康 (きらよりやす)が天文22年(1553)に家臣の大平清九郎に宛てた所領安堵状が残っていて、そこに< 旋沢(めぐりさわ)之内 船橋谷(ふなはしだに)……>と地名が書かれている。船橋谷などを大平清九郎の領地として与えるという書状である。

 旋沢というのは、いまの世田谷区西北部の広い地域を指したようで、 烏山(からすやま)八幡山(はちまんやま)粕谷(かすや)千歳台(ちとせだい) 、船橋、経堂、 祖師谷(そしがや) などにわたったと推定されている。その中心部が、のちに 廻沢(めぐりさわ)村となり、現在の千歳台になっている。旋も廻も、訓でメグリと読める。

 『世田谷の地名』の著者である三田義春は、往時この地域が水捌けの悪い沢だったことを説明し、船を並べて橋にすることもあったのではないかと推測する。廻沢の地名はバス停留所などに残っている。

 明治22年、上祖師谷、下祖師谷、廻沢、船橋、八幡山、粕谷、 給田(きゅうでん) 、烏山の8ヶ村合併して千歳村が誕生した。縁起のよい千歳が村名に選ばれ、いまの千歳船橋の駅名にも及ぶ。

(掲載号:10月03日号)