週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

『不如帰』 そのままの 明治時代

  徳冨蘆花(とくとみろか)が小説『 不如帰(ほととぎす)』を『国民新聞』に連載したのは、明治31年(1898)11月から翌年5月までのことだった。連載中はあまり大きな反響はなかったが、明治33年1月に単行本として出版されてからベストセラーになった。

 小説のヒロインは片岡陸軍中将の愛娘浪子で、海軍少尉川島武男と結婚するが、結核にかかったため姑によって離縁されてしまう。嫁の立場が極端に弱い封建的な家族制度があり、そのうえに結核が不治の病と恐れられていた時代だった。最愛の夫、武男も不在のあいだで、浪子は苦しみながら「わたし二度と女になんぞ生まれはしませんよ」と悲痛な言葉を残して死ぬ。

 一世紀前のことだが、程度の差こそあれ同じような体験に泣いた女性は多かった。この小説は新派で舞台化され、あるいは映画化されて、尾崎紅葉の『 金色夜叉(こんじきやしゃ)』とともに明治中期を代表する人気作品として記憶されている。

 蘆花自身は、母の久子から「あんなものが…」と言われて大いに不満だったが、実は母が涙を流しながら読んでいたことを妻の愛子から聞いて反省する。旧時代に生きてきた母には、息子に向かってすら正直な感想を漏らすことができなかったのである。それほど女性の心は屈折していたのだろう。当の蘆花にしてもしばしば愛子夫人に暴力を振るっていたことを、作品のなかで告白している。

 『不如帰』のモデルは大山巌陸軍大将の長女信子、相手は子爵 三島通庸(みしまみちつね)の長男弥太郎だったことは有名だが、同じような家庭が多かったから大ヒットしたのである。

 蘆花の旧宅(世田谷区粕谷1-20)は、いま都立 蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん) として一般開放されているが、その一画のクヌギなどの雑木林のなかに蘆花夫妻の墓がある。

(掲載号:10月21日号)