週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
都市化と 武蔵野の 雑木林
川本三郎『郊外の文学誌』(新潮社)のなかに簡潔で興味深い叙述がある。
<東京の市中にガスが普及していくのは、明治40年代になってからである。「漱石日記」明治42年7月20日には「台所へ瓦斯を引く」とある。また「鴎外日記」明治44年12月26日にも「瓦斯を家に引く」とあり、このころから、市中にガスを引く家庭が増えていっていることがわかる。
ガスが普及してゆけば、薪の需要が減る。近郊の農家はこの変化に敏感で、薪のための雑木林を次第に減らしてゆき、これを麦畑や野菜の菜園へと変えていった>
武蔵野の雑木林のなかで目立つのが、クヌギとケヤキである。辻井達一『日本の樹木』(中公新書)によると、クヌギは<いわゆる薪炭林の主役で、なにしろ伐っても萌芽再生するので繰り返し収穫できる>強みもある。また、ケヤキは強風に耐えるので空っ風に対する防風林として愛用された。いずれも美しい並木を作り武蔵野の風物詩になっているが、実は日常生活を支える樹木だったのである。
徳冨蘆花は質朴な農村生活を理想として、明治40年2月、市内から千歳村粕谷(現・世田谷区粕谷)に転居した。蘆花の邸宅に電灯が付いたのは大正11年秋である。しかし、東京近郊へのガスの配管は時間がかかった。太平洋戦争の影響も大きかった。宅地化の進行とともに、昭和30年代に入るとガスの普及率は急上昇する。昭和33年末で、都心区の90%以上に対し、世田谷区は79.1%とかなりの水準に達している。
周囲の雑木林が消えていくのに抵抗するように、蘆花は土地を買い足し竹藪や雑木林にした。蘆花没後の昭和11年、愛子夫人が土地、邸宅ともに都に寄付したのが蘆花恒春園である。
(掲載号:11月11日号)
