週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

烏山寺町 称往院に 其角の墓

 狂言の『 宗論(しゅうろん) 』は室町時代の世相をよく伝える名作の1つになっている。

 甲斐の身延山に参詣した 法華(ほっけ)の僧と、信濃の善光寺にお参りした浄土の僧が京都へ帰る途中で道連れになる。ところが、相手の宗旨がわかると激しい説得合戦が始まり、宿屋でも自派の優位を主張して譲らない。

 ついには踊りながらお題目とお念仏の声高な掛け合い。それが、いつの間にか法華僧が「南無阿弥陀仏」と念仏、浄土僧が「南無妙法蓮華経」と題目を唱えていて、思わず顔見合わせ熱狂から醒める。やがて両人口を揃えて「法華も、弥陀も、 (へだ)てはあらじ」と仲直りして京都へ向かう。

 熱っぽい宗論の時代が生き生きと演じられると同時に、幕切れでお互いに自分の立場を冷静に振り返り仲直りするという演出が鮮やかで、当時の観客もほっとしたことだろう。名作として今もよく演じられている。

 「 蕎麦(そば)境内に入るを許さず」という異色の碑を山門に立てている 称往院(しょうおういん)(世田谷区北烏山5-9-1)に、元禄の俳人 宝井其角(たからいきかく)の墓がある。称往院は浄土宗の寺だが、其角の父の墓所で、法華宗の信者だった其角も入っている。

 だから本堂脇の小さな阿弥陀堂に<夕立や法華かけこむ阿弥陀堂>と刻まれた其角の句碑がある。突然の夕立に宗派を問わず雨宿りの場所を提供する微笑ましいシーンが簡潔に描かれた句である。

 世田谷区北烏山には、 烏山寺町(からすやまてらまち)の名で知られる一画がある。京王線千歳烏山駅から北へ歩いて15分ほど。ここから静かな寺町で、大小の寺院が26にも及ぶという。大正12年の関東大震災で被災した都心の寺院が東京の復興計画にともなって移転しており、かつて浅草にあった称往院のように江戸以来の由緒を持つ寺院が多い。

(掲載号:12月09日号)