週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

瑞穂の 国の 給田

 日本人の暮らしは稲作文化と深く結びついている。私たちが初詣に出かけ、五穀の豊穣と地域や家族の繁栄を祈るのも例外ではない。

 大陸から稲作の技術が伝わり、日本に弥生文化が成立したのは2500年ほど前のことだという。水田稲作は北九州から全国各地に広がり、日本書紀などでは日本の国土が「豊葦原(とよあしはら)瑞穂(みずほ)の国」つまり葦がゆたかに生い茂り、みずみずしい稲穂が実る国と表現されている。

 地名にも「川」と「田」の付くところが最も多いといわれる。荒川区、江戸川区、品川区がある東京では都心に千代田区がある。千代田の地名は中世の千代田村から出ており、めでたい地名だったため江戸城が千代田城と呼ばれたこともよく知られている。皇居周辺には、桜田、宝田(たからだ)祝田(いわいだ)、神田と瑞穂の国にふさわしい、めでたい地名が並んでいる。

世田谷区の場合、「田」は水田から出ていると単純に言えないようだ。区内には瀬田があるが、これは多摩川沿いの狭い谷地を指す「瀬戸」が訛って「瀬田」になったらしい。世田谷も「セトガヤ」で、内陸部の谷地を指すのだろう。

 しかし、そうした谷地にも次第に水田が開かれ、稲作が普及していく。興味深いのは世田谷区に給田(きゅうでん)の地名があることだ。給田というのは、中世に荘園の領主が配下の管理人などに給与として与えた田地のことである。これが地名になった例は珍しく、『角川日本地名大辞典』には世田谷区と千葉県長南町(ちょうなんまち)の2例が挙げられているだけである。

 いずれも中世荘園との関係が想像されるが、明確な史料はない。世田谷の給田は、天正18年(1590)の記録が1番古い。小田原北条氏に仕えた佐伯氏の所領に「貫井(ぬくい)小金井(こがねい)仙川(せんがわ)、給田」と出てくるのである。

(掲載号:12月30日・01月06日合併号)