週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

近代化遺産 駒沢給水所 と桜新町

 東急田園都市線の桜新町駅は世田谷区桜新町にある。しかし、駅の所在地のすぐ東側が世田谷区新町、西側は桜のある世田谷区桜新町なので、ちょっと紛らわしい。

 世田谷の中心は古くは世田谷城跡(東急世田谷線上町駅付近)にあった。江戸時代に入って大山街道が発展すると街道に沿って新町が形成され、世田ヶ谷村新町と呼ばれる。これが17世紀中頃の万治年間に独立して世田ヶ谷新町村を名乗った。新町の地名にはそれほどの歴史がある。

 明治40年、渋谷と二子玉川を結ぶ玉川電車が開通した。いちはやく東京の西郊開発に着目した東京信託会社が大正2年に約7万坪におよぶ「新町分譲地」を造成して売り出した。玉川電車新町停留所の南方に展開する住宅地で、1区画100坪から500坪の敷地をとり、幹線道路にソメイヨシノの並木をつくった。このため停留所も桜新町と改めた。
 これは関東での最初の大規模宅地開発で、田園調布の開発事業はその5年後の大正7年になる。往時の桜並木はいまも春ごとに町を彩り、昭和43年、停留所周辺の新町、深沢、弦巻の一部がまとまって、あらたに桜新町を名乗る。これも由緒のある地名だ。

 桜新町駅から旧玉電通りを東へ約200メートル歩くと、北側へ逸れるように入る直線道路がある。その直線道路の突き当たりに、灰色のお碗をかぶったような2本の大きな塔を望むことができる。この付近のランドマークとして親しまれてきた東京都水道局駒沢給水所(世田谷区弦巻2-41-5)の配水塔である。
 大正から昭和戦後期にかけて急増する都民の生活用水を確保するため造られた。多摩川の水を引く駒沢給水所は、東京に残る6本のタワーのうちで最も古く、大正10年から13年にかけて建造された近代化遺産である。

(掲載号:01月16日号)