週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

両区の 三田は 同じ郷

 JR山手線の目黒−恵比寿間のほぼ中間辺り、昔は佳景の地だった千代が崎一帯の地名は目黒区三田である。三田の地名は港区にもあり、どちらかといえば慶応義塾大学などがある港区三田のほうが一般に知られている。

 三田という地名は古代の荏原郡九郷の1つ三田郷に由来している。その三田は御田・箕多・箕田・美多・美田、さらに弥陀などとも書いたようである。

 伊勢神宮に捧げる米を作る神田、つまり御田があった、または朝廷の直轄領の屯倉があったなど、地名の起源については諸説あるが、いずれにしろ両区の三田は共に三田郷に属していた。だから、どちらの三田が本家というわけではなく、同じ親から生まれた兄弟といってよい。
 それを象徴するのが、目黒三田通り沿道に鎮座している三田春日神社である。このお宮は「春日明神の社」として『江戸名所図会』に挿絵付きで載っていて、社殿が小高い丘陵の上に建っていたことがうかがえる。

 「三田1丁目にあり。……伝へ云ふ、当社は村上天皇の天徳年間、武蔵国司藤原正房任国の頃、藤原氏の宗廟たる故に、この御神をこの地に勧請せしむるとなり」
 つまり、平安時代の天徳2年(958)藤原氏の氏神である奈良・春日大社の祭神を勧請したのが起源で、三田の産土神として繁盛したようである。

 ただし、同書の最初に記されている三田は、目黒の三田ではなく芝の三田、現在の港区三田にほかならない。目黒の三田に移ったのは昭和9年で、目黒での歴史は比較的新しい。とはいえ、歴史的に見れば港区三田も目黒区三田も同じ三田郷に属していたわけで、三田春日神社は三田内部で少し移動したにすぎないといえる。

(掲載号:01月23日号)