週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
最初の女性漫画家 長谷川町子と サザエさん通り
『サザエさん』の長谷川町子は14歳のとき『のらくろ』の田河水泡に弟子入りした。女学生の突然の来訪に驚きながらも、町子が持参したスケッチブックを見て、水泡は町子の入門を即座に認めたという。昭和9年のことである。
漫画史の研究家、清水勲は昭和14年に町子が「国民新聞」に連載した4コマ漫画の『ヒィフゥみよちゃん』によって、日本の女性漫画家第1号が誕生したと書いてある。(アサヒグラフ別冊「長谷川町子絵画館」)
日本の新聞は、家族が毎日そろって楽しめる4コマ漫画の連載を定番にしている。これは大正12年の「報知新聞」で大ヒットした麻生豊『ノンキナトウサン』以来だという。それも遡れば、アメリカ漫画『親爺教育』(G.マクナマス作)に行き着くらしい。
『サザエさん』の連載は、昭和21年4月22日付けの「夕刊フクニチ」で開始された。町子は太平洋戦争の激化で、東京から福岡に疎開していたのである。
清水によると、「サザエ」、弟「カツオ」、妹「ワカメ」などの人物名は、町子が実妹と福岡の百道海岸を散歩するうちに海産物に因むものにしようと思いついたもの。
13歳のとき、実父が病死している町子は、当初母子家庭の構想を持ったようだが、平凡な家庭を舞台にしようと方向転換し、連載16回から父「波平」が登場する。ムコ「マスオ」が同居する女性上位の家族関係は戦後日本の平凡な家庭をみごとに表現した。
昭和21年暮れ、町子は東京に帰り、世田谷に住んだ。『サザエさん』連載は、昭和25年から朝日新聞に移り圧倒的な人気を得た。昭和60年、所蔵の名画を公開する長谷川町子美術館(世田谷区桜新町1-30-6)がつくられ、近くにサザエさん通りまで出現した。
(掲載号:02月06日号)
