週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

江戸郊外の 名所だった 爺々が茶屋

 落語「目黒のさんま」の舞台になったといわれる目黒茶屋坂の「爺々が茶屋」とはどんなところだったのだろう。

 目黒区三田2丁目の茶屋坂下にある茶屋坂街かど公園には「この近くに一軒茶屋があったので、そう呼ぶようになった。『じじが茶屋』とも呼ばれ将軍が狩にきたときよく立ち寄った」との説明板が建っている。

 この説明によると、茶屋は「一軒茶屋」または「爺々が茶屋」と呼ばれたようである。一軒茶屋は文字通り一軒だけ茶屋があったからそう呼ばれたのだろうが、爺々が茶屋の名は将軍と関係がある。

 江戸時代、この辺りは狩猟地で、狩り好きの将軍がよく鷹狩りに訪れた。その将軍は3代家光、または8代吉宗ともいわれてはっきりしないが、茶屋の主の彦四郎という老人が気に入りで、いつも「爺」「爺」と話しかけたところから「爺爺が茶屋」の名が付いたといわれる。

 いずれにしろ、将軍が訪れた茶屋があったため「目黒のさんま」の落語が創作されたらしい。将軍さまも、ときには庶民と触れ合う機会があったようである。
 安藤広重の『名所江戸百景』に「目黒爺々が茶屋」があり、そこが見晴らしのよい江戸郊外の名所であったことを今に伝えている。

 松の木が立ち並ぶ岡の上では、1人の旅人が笠をかざして西にくっきり見える富士山を眺めている。岡の下の坂の途中にはワラ葺きの家が半分描かれていて、その横の葦簾張りの下で何人かが休んでいる。爺々が茶屋だろう。その前方は田んぼで、畦道を農夫に引かれた馬が1頭歩いている、といった構図である。

 のどかな風景で、これなら鷹狩りもできただろう。住宅が立て込み、富士山など望めない現在では想像もできない光景である。

(掲載号:02月20日号)