週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
園には植物 苑には動物 だから公苑
関東の武士団が得意としたのは騎馬だった。江戸に幕府を開いた徳川家康が武士に必須の武技としたのが馬術と水練だった。武士だけでなく、一般庶民にも馬は人や物資を運ぶ大切な家畜だった。
東京には、馬に因む地名が多い。伝馬町、馬喰町、高田馬場、駒込、駒場など。世田谷区内でも、駒沢、上馬 、下馬( などがよく知られている。
馬事公苑(世田谷区上用賀2-1-1)が開設されたのは昭和15年のことである。それまで、このあたりは鬱蒼とした雑木林が広がり、その周辺に少し畑があるという程度の原野だった。
大正12年に発生した関東大震災は周辺の町に大きな影響を与えた。人口が急増し、農地がつぎつぎに住宅地化された。当時はまだ玉川村の時代だったが、村長の豊田( は強い危機感を抱いた。無秩序な市街地化の前に耕地の整理をしておく必要がある。豊田村長は当時としては画期的な玉川村全域の耕地整理を提唱した。
ちょうどそのころ馬事思想の普及にあたる公共施設の用地を求めていた帝国競馬協会との間で話がまとまり、昭和9年に用賀地区の5万坪が30万円で譲渡された。坪6円である。この売却代金は用賀周辺の区画整理に利用され、いま見られるような景観の基盤になっているという。
公園と公苑の違いについて日本中央競馬会編『馬事公苑50年のあゆみ』に次のような記事がある。
<「園」には植物のある庭、「苑」には動物のいる庭という意味があり、馬事公苑は都民に憩いの場を提供することでは日比谷公園や上野公園と同様だが、動物を飼っている囲いのあるところ>
都会では馬に親しむ機会が珍しくなっているので、馬事公苑はさまざまなイベントで賑わっている。
東京には、馬に因む地名が多い。伝馬町、馬喰町、高田馬場、駒込、駒場など。世田谷区内でも、駒沢、
馬事公苑(世田谷区上用賀2-1-1)が開設されたのは昭和15年のことである。それまで、このあたりは鬱蒼とした雑木林が広がり、その周辺に少し畑があるという程度の原野だった。
大正12年に発生した関東大震災は周辺の町に大きな影響を与えた。人口が急増し、農地がつぎつぎに住宅地化された。当時はまだ玉川村の時代だったが、村長の
ちょうどそのころ馬事思想の普及にあたる公共施設の用地を求めていた帝国競馬協会との間で話がまとまり、昭和9年に用賀地区の5万坪が30万円で譲渡された。坪6円である。この売却代金は用賀周辺の区画整理に利用され、いま見られるような景観の基盤になっているという。
公園と公苑の違いについて日本中央競馬会編『馬事公苑50年のあゆみ』に次のような記事がある。
<「園」には植物のある庭、「苑」には動物のいる庭という意味があり、馬事公苑は都民に憩いの場を提供することでは日比谷公園や上野公園と同様だが、動物を飼っている囲いのあるところ>
都会では馬に親しむ機会が珍しくなっているので、馬事公苑はさまざまなイベントで賑わっている。
(掲載号:03月13日号)
