週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

緑の砧公園 清掃工場の 空色の煙突

 ひさかたのひかりのどけき はるのひにしづこころなく はなのちるらむ

 百人一首でおなじみの紀友則(きのとものり)の歌である。明るい日差しを浴びる春の日なのに、満開の花ははらはらと散り急ぐ。だから、平安朝の歌人は花の気持になってさぞや落ち着かない心であろうといとおしんでいる。こんな優雅な歌が路面に刻まれているのが、用賀(ようが)プロムナードである。

 東急田園都市線用賀駅から砧公園に向かう道だから、御用とお急ぎの向きには鑑賞の時間は割きにくいかも知れないが、路面には特注の淡路瓦(あわじがわら)が使われていて、普通の石畳とは違う柔らかな質感が出ている。脇には桜、樟、山茶花などの並木があり、子供たちが水遊びもできるような水路が作られている。

 そのプロムナードの路面のところどころに百人一首が刻まれているから、
 なげきつつひとりぬる夜の 明くるまはいかに久しきものとかは知る
右大将道綱母(みちつなのはは)の切ない歌もあって、時折カルタ取りの昔話をしながら楽しんでいる2人連れなどを見かける。

 砧公園は、戦時中は防空緑地、戦後は都営ゴルフ場があったところだが、昭和41年に約38万平方メートルの敷地を持つ多彩な緑の公園として一般開放された。
 都立公園だが、北部の一画に区立世田谷美術館の設立を認め、緑青(ろくしょう<)色の屋根をもつ2階建てのお洒落な美術館が昭和61年に開館した。そのすぐ北側に世田谷清掃工場があり、高さ100メートルの大きな煙突が青、白、グレーに明るく塗りわけられているのが目立つ。

 世田谷区が都の理解を得て環境にふさわしい煙突の色彩デザインという異色の公募を行ったのは昭和63年のこと。建築デザイナー紙谷芳彦氏の案が選ばれ、「流れる雲」が空を彩った。

(掲載号:03月20日号)