週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
駒場野 農民騒動 観兵式
「此の頃、西洋の傘を用ふる人多し。和俗 蝙蝠 ( こうもり 傘といふ。但し晴雨ともに用ふるなり。始めは武家にて多く用ひしが、翌年よりは一般に用ひる事になる」
明治改元を翌年に迎えることになる慶応3年(1867)5月の頃の『武江年表』の記述である。
イギリス公使館員の風俗でも真似たのだろうか。武士の間に始まった流行が、やがて庶民にも広まったということで、新しい時代がすぐそこに迫っていることを暗示する風俗であったのかもしれない。
ちょうどそのころ、幕府は将軍の鷹狩り場だった駒場野を軍事訓練所とするための建設工事に取りかかった。しかし、近隣の農民に何の補償も示さなかったため、彼らは激しく抵抗した。
『近代日本総合年表』(岩波書店)の同年の「社会」の項には「幕府、武蔵国荏原郡駒場野一帯を上地して散兵伝習調練場としたため、農民騒擾おこる」とある。
駒場野の農民は、将軍の鷹狩りのためにいつも迷惑していた。奉仕ばかりでなく、畑や田圃が荒らされても我慢させられてきた。その怒りが爆発、駒場野の番人小屋などを打ち壊すなどして建設そのものを中止に追い込んだ。
大政奉還も目前のことで、幕府の権威も失墜していた。その駒場野が維新後、改めて軍事関係の行事で脚光を浴びたことが『武江年表』明治3年4月の項に記されている。
「17日、駒場野にて連兵、天覧遊ばされ候に付き、御途中貴賤群集して拝し奉る」
これが、日本で初めての観兵式である。ただ、近代日本軍の日は浅く、参加した兵士たちは服装もばらばらなら、行進などの掛け声もイギリス式、フランス式、ドイツ式とまちまちの珍妙さだったという。今、駒場小学校校庭に記念碑が建っている。
明治改元を翌年に迎えることになる慶応3年(1867)5月の頃の『武江年表』の記述である。
イギリス公使館員の風俗でも真似たのだろうか。武士の間に始まった流行が、やがて庶民にも広まったということで、新しい時代がすぐそこに迫っていることを暗示する風俗であったのかもしれない。
ちょうどそのころ、幕府は将軍の鷹狩り場だった駒場野を軍事訓練所とするための建設工事に取りかかった。しかし、近隣の農民に何の補償も示さなかったため、彼らは激しく抵抗した。
『近代日本総合年表』(岩波書店)の同年の「社会」の項には「幕府、武蔵国荏原郡駒場野一帯を上地して散兵伝習調練場としたため、農民騒擾おこる」とある。
駒場野の農民は、将軍の鷹狩りのためにいつも迷惑していた。奉仕ばかりでなく、畑や田圃が荒らされても我慢させられてきた。その怒りが爆発、駒場野の番人小屋などを打ち壊すなどして建設そのものを中止に追い込んだ。
大政奉還も目前のことで、幕府の権威も失墜していた。その駒場野が維新後、改めて軍事関係の行事で脚光を浴びたことが『武江年表』明治3年4月の項に記されている。
「17日、駒場野にて連兵、天覧遊ばされ候に付き、御途中貴賤群集して拝し奉る」
これが、日本で初めての観兵式である。ただ、近代日本軍の日は浅く、参加した兵士たちは服装もばらばらなら、行進などの掛け声もイギリス式、フランス式、ドイツ式とまちまちの珍妙さだったという。今、駒場小学校校庭に記念碑が建っている。
(掲載号:06月12日号)
