週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
ゴジラが 誕生した 砧撮影所
ゴジラの愛称で親しまれている松井秀喜選手が、本場アメリカの大リーグ、ニューヨークヤンキースで活躍、明るい話題を提供した。
怪獣ゴジラは、昭和29年(1954)に封切られた東宝映画『ゴジラ』に初めて登場する。監督は本多 猪四郎 、特殊撮影を担当したのが"特撮の神様"と呼ばれた 円谷 ( 英二 ( である。
黒沢明監督の『7人の侍』などに出演した俳優、土屋嘉男はこう回想している。
<『7人の侍』の撮影も大詰めの頃でしたよね。なんとなく僕の耳に、「ゴジラ」という言葉が聞こえ、何の事かわからず、宣伝部に聞いてみると、ゴリラとクジラを交ぜた様な大怪獣が出てくる話だと言うんですね>(河出書房新社・「文芸」別冊『円谷英二』)
黒沢監督は自分の信頼する俳優がどういう映画に出演するかにも気難しかったそうだが、土屋が本多監督のSF物に出たいというと、「 猪 ( さんはいいよ」と喜んだという。黒沢と本多は気心の知れた仲だったのである。
『7人の侍』や『ゴジラ』など日本映画史に残る名作を生み出したのが、ほかならぬ東宝 砧 ( 撮影所(世田谷区成城1-4-1)である。現在は東宝スタジオの名称で、8棟のステージを中核に住宅公園や日曜大工センターなど多彩な施設を擁する。隣接の宅地化された敷地内で、かつて三船敏郎や志村喬など7人の侍が泥まみれの名演技を展開し、円谷英二が大東京を踏みつぶすゴジラの迫力を演出していた時代が夢のようである。
この撮影所は、昭和7年に誕生したが、当時は東京府北多摩郡砧村喜多見をいうのが地名だった。このため、砧撮影所の名で親しまれている。昭和11年に砧、千歳両村が世田谷区に編入され、地名も学園の成城に因んで、現行のものになった。
怪獣ゴジラは、昭和29年(1954)に封切られた東宝映画『ゴジラ』に初めて登場する。監督は本多
黒沢明監督の『7人の侍』などに出演した俳優、土屋嘉男はこう回想している。
<『7人の侍』の撮影も大詰めの頃でしたよね。なんとなく僕の耳に、「ゴジラ」という言葉が聞こえ、何の事かわからず、宣伝部に聞いてみると、ゴリラとクジラを交ぜた様な大怪獣が出てくる話だと言うんですね>(河出書房新社・「文芸」別冊『円谷英二』)
黒沢監督は自分の信頼する俳優がどういう映画に出演するかにも気難しかったそうだが、土屋が本多監督のSF物に出たいというと、「
『7人の侍』や『ゴジラ』など日本映画史に残る名作を生み出したのが、ほかならぬ東宝
この撮影所は、昭和7年に誕生したが、当時は東京府北多摩郡砧村喜多見をいうのが地名だった。このため、砧撮影所の名で親しまれている。昭和11年に砧、千歳両村が世田谷区に編入され、地名も学園の成城に因んで、現行のものになった。
(掲載号:07月03日号)
