週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

ゴジラの 不気味な 足音の秘密

 東宝の怪獣映画『ゴジラ』の封切は、昭和29年である。戦時中に『燃ゆる大空』『ハワイ・マレー沖海戦』などの大作で特殊撮影の技術を存分に発揮した円谷(つぶらや)英二(えいじ)が特撮を担当し、監督には本多猪四郎(いしろう)が当たった。福島県須賀川市生まれの円谷は52歳、山形県出身の本多は10歳年下だったが、前年の『太平洋の鷲』でもコンビだった。

 昭和29年3月、日本の第5福竜丸がビキニ環礁の水爆実験で被爆する事件が発生した。これにヒントを得て、ストーリーは南太平洋の海底にいた怪獣ゴジラが水爆に刺激されて東京を襲うというもの。撮影に与えられた期間はわずか51日。怪獣の姿は最初原爆のキノコ雲が考えられたが、結局恐竜がベースになった。

 <それをもとにゴジラの()ぐるみ(いわゆる縫いぐるみ)が作られたが、当時は着ぐるみを作るのに適当な材料がなく、ようやく仕上がってみれば非常に重く、撮影中に中で動かしている人が耐えられずにぶったおれるといいうアクシデントが何度もあった>
(鈴木和幸『翔びつづける紙飛行機 特技監督円谷英二伝』)
 しかし、そこから身長50メートルのゴジラが重々しく近づくドーンドーンという不気味な足音が生まれた。バリバリと踏み砕かれるビルにはウエハースが使われたという。

 『ゴジラ』はSF映画の本場アメリカに輸出されて大ヒット、ついにはアメリカ版ゴジラまで製作されている。

 『7人の侍』『ゴジラ』など幾多の名作を生み出した東宝砧撮影所は、昭和6年、砧村(現・世田谷区成城)に「写真化学研究所」(PHOTO CHEMICAL LABORATORY、略称PCL)として発足した。国産のトーキー映画製作をめざし、技術者の中には後のソニー会長井深(いぶか)(まさる)もいた。

(掲載号:07月10日号)