週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

式亭三馬 羽倉簡堂の 墓所正泉寺

 東急目黒線西小山駅の北西の立会川緑道を西へ600メートルほど進むと、旧富士見橋の親柱がある。そこで緑道を離れて北へ少し行けば、右手に正泉寺(しょうせんじ)が静かなたたずまいを見せている。

 戦国時代の元亀3年(1572)存冏(そんけい)上人という名僧が現在の千葉県に創建したと伝えられる寺で、初めは泉蔵院といった。徳川家康が江戸に入国した天正18年(1590)江戸の溜池に移って正泉寺と改めた。

 さらに承応年間(1652-55)今の港区三田に移転。この三田時代の幕末から明治初年にかけての同寺は、フランス・イギリス・スイス各領事館員の宿舎になった。目黒区碑文谷1丁目の現在地には明治44年に移ってきた。
 墓地には、江戸後期の戯作者式亭三馬(1776-1822)や儒学者で幕府の役人だった羽倉(はぐら)簡堂(かんどう)(1790-1862)らが眠っている。

 浅草に生まれた三馬は初めは本屋、後に薬屋を営みながら著作活動を行った。江戸庶民の生活をユーモラスに描いた滑稽本『浮世風呂』『浮世床』は、その代表作である。商才もなかなかのもので、化粧水や新薬を売り出して店を繁盛させた。

 墓は、深川雲光院長源寺の墓地から関東大震災後の大正14年に改葬された。墓石には「式亭三馬墓」とあって、台座には朱色で「る」の字を崩したような「馬」の字、その下に同じ朱色で「本町庵」と刻まれている。馬の字は彼が経営していた薬屋の商標、本町庵は三馬の別号である。

 羽倉簡堂は、幕府代官の子として大阪に生まれた。父の後を継いで各地の代官を務める一方、学問にも励んだ。清廉な人柄で知られ、天保の改革を進めた老中水野越前守忠邦に重用されたが、彼の失脚後は読書と著述に専心して世に出なかった。

(掲載号:07月17日号)