週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

次大夫堀公園 「女堀」由来と サケ孵化場

 東急田園都市線二子玉川(ふたこたまがわ)駅と小田急線成城学園前駅を結ぶバス路線がある。バスは多摩川の北岸を東西に走っているが、そのほぼ中間あたりに「次大夫堀(じだゆうぼり)公園前」という停留所がある。時折セキレイが姿を見せる野川(のがわ)が路線に沿って流れ、周囲には農地を見ることができる。

 世田谷区立の次大夫堀公園(世田谷区喜多見5-27-14)は、昔ながらの農村風景を残したいという地元の声に応えて昭和55年に誕生した。水草が茂り、川面にアメンボが走る小川づたいに歩くと「公園のあらまし」と書いた説明板があった。

 <次大夫堀は今から約400年前の江戸時代のはじめに徳川家康の家臣、小泉次大夫吉次(よしつぐ)の指揮監督によってつくられた農業用水です。正式には六郷(ろくごう)用水と呼ばれますが、世田谷地方では次大夫堀と呼ばれてきました>

 川崎・稲毛の代官だった小泉次大夫は、15年の歳月をかけて、多摩川下流の北と南の両岸に用水を開削した。これが現在の世田谷、大田両区内を貫流した六郷用水と、いまの川崎市内にあたる川崎・稲毛ニヶ領を潤すニヶ領(にかりょう)用水で、六郷用水は都市化が進むなかでも昭和30年代まで使われていた。

 次大夫堀は、俗に「女堀(おんなぼり)」とも呼ばれていたという。その由来について『新修世田谷区史』は、(1)工事に男ばかり使うと村の生産力を()ぐので婦女子を多く使った、(2)次大夫の一案で男10人に女1人の割で出役させると工事がはかどった、(3)次大夫の夢に女人が現れ、そのお告げに従った、と3説を挙げている。いずれにしても、並々ならぬ労苦が生んだ物語に違いない。

 次大夫堀公園には、民家園や水田があるが、さらにサケの稚魚を育てる孵化場(ふかじょう)を設置し、毎年早春には多摩川に放流している。

(掲載号:08月14・21日合併号)