週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

円融寺 多彩な 文化財

 幕府の弾圧で改宗した歴史を持つ碑文谷の円融寺だが、今も境内には文化財が多く残っている。

 参道でまず目に付く茅葺きの仁王門は、2体の仁王像が戦国時代末期の永禄2年(1559)制作と分かったので、門もその頃の建築と推定され、区の文化財となっている。

 共に2メートルを越える黒色の仁王像は、像の内部に納められていた木札の銘記から制作年などが判明した。『江戸名所図会』も、この仁王像を紹介している。

 「霊威尤も著きが故に、世人尊信す。いかなる故にや、寛政紀元の己酉(つちのととり)の頃より、後12年ばかりの間霊験著しとて、(しき)りに都下の人群参して道もさりあへざりしが、いつしかその事止みたり」

 『武江年表』寛政元年(1789)の項にも「天明7、8年のころより、碑文谷法華寺の仁王尊諸願成就するよしにて、貴賤男女参詣する事あり、次第に群集(おびただ)しかりしが、12年ばかりにして絶えたり」とある。

 江戸時代中期の18世紀末、「碑文谷の黒仁王」として一時的にブームを巻き起こした仁王さまなのである。今、都の文化財になっている。

 この門をくぐった先の右手には、梵鐘がある。江戸時代初期の寛永20年(1643)飯田善兵衛宗次という人が鋳造したもので、昭和18年、国の重要美術品に認定された歴史を持つ。総高151センチ、口径91センチで、これと同形同時に造られたものが、円融寺と同じ運命をたどった台東区谷中の天王寺(旧感応寺)にあった。だが、それは彰義隊の戦争で失われた。

 円融寺の前身・法華寺の“初代”住職日源上人の供養塔といわれている石の五重の塔もある。高さ4メートル余りで、寛永13年に建立された。軸石には上から「妙」「法」「蓮」「華」「経」と刻んである。

(掲載号:08月28日号)