週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

水晶の川に 二子の渡し 岡本かの子

  二子玉川 (ふたこたまがわ) は若者のあいだで「ニコタマ」と呼ばれている。東急田園都市線二子玉川駅の周辺がお洒落な若者たちのショッピングの街になっているからだ。

 二子の地名は、多摩川を渡った対岸の川崎市 二子 (ふたご) の方から出ているようである。徳川幕府が文政年間(1818-30)に編纂した『新編武蔵風土記稿』の「 橘樹 (たちばな) 郡二子村」の項に、こう書いてあ。

<村名の起りは村内東南の境にニつの塚並びてあり。是を 二子塚 (ふたごづか) (いう) より起りしならんといへり>

 二子塚は現存しないが、川崎市高津区二子6丁目に「史蹟二子塚之碑」がある。同書には、さらに幕末の二子の渡しの模様を<川幅60間(約110m)余、夏は 船渡 (ふねわたし) にて冬の間は橋を架せり>と記述している。水嵩の減る冬は簡単な橋を架けたが、夏は増水して氾濫し、しばしば川筋が変わるほどだったという。

 その二子で、多摩川を見つめながら育った岡本かの子の小説『川』に次の一節がある。
<かの女は水の浄らかな美しい河の畔でをとめとなった女である。其の川の水源は甲斐か秩父か、地理に (くら) いをとめの頃のかの女は知らなかった。ただ水源は水晶を産し、水は白水晶や紫水晶から滲み出るものを思っていた>

 万葉の時代から多摩川は多くの詩文に描かれたが、これは絶品の1つに属するだろう。岡本かの子は二子の旧家である 大貫家 (おおぬき) 貫家の出身で、生家に近い二子神社(田園都市線二子新地駅徒歩3分)境内に長男の岡本太郎が制作した、かの子の文学碑がある。

 その碑は多摩川の堤防沿いにある。岡本太郎が「誇り」と名づけた高さ5mのまっしろな彫刻が、白鳥のように多摩川に向かって、ひらりと、伸びあがっている。太郎はこれを「かの子のいのち」と表現している。

(掲載号:10月02日号)