週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
経塚か 古墳か 法界塚
目黒区碑文谷の名刹円融寺の東方、バス停「円融寺前」近くの四つ角の東北部は道路より小高くなっていて、古びたお堂が建っている。法界塚で、立会川緑道からは旧新橋の橋柱の地点を横切る道を北へ曲がれば、ほどなく右手に見えてくる。
今は住宅地の中の小公園といった感じだが、昔は周辺にモミの大木がうっそうと茂る神秘的な塚だったという。道路の拡張で大きく削られたので、現在のような姿になってしまった。
江戸時代は租税を免除された「除地」だったことから、かなり由緒のある古い塚と見られる。世田谷城主の吉良氏が円融寺の前身の法華寺に与えた寄進状にその名があることも、それを裏付ける。
また「法解塚」と書いて「ほっけ塚」といったとの記録もあるという。このため、法華寺の経塚だったとする説がある一方、もっと古い5、6世紀頃の古墳ではないかと推測されてもいる。
いずれにしろ、江戸時代以前からあった塚であることは間違いない。現在は、江戸時代に建てられた幾つかの塔や石碑が残っている。
お堂は鬼子母神堂で、品川区荏原7丁目の摩耶寺に属している。同寺は寛文年間(1661-1673)の開山で、釈迦の生母・摩耶夫人を祀る摩耶堂がある。その像は、元法華寺にあったものらしい。
鬼子母神堂は元和2年(1616)、この地の有力者安藤八郎が建てたものである。初めは現在地より500mほど東の地に建っていた。
恐らく、その頃は法華寺に属していたのが、幕府の弾圧で同寺が天台宗に改宗させられてから摩耶寺の所属になったのだろう。堂も一時摩耶寺に移され、現在地には明治末年に移ってきた。堂内には、創建当時の板碑が1基保存されている。
(掲載号:10月23日号)
