週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
古墳の世紀 多摩川の流れ 野毛大塚古墳
よちよち歩きの幼児が母親と一緒に、5世紀に造られた前方後円墳の上で遊んでいる。直径68mの小高い後円部は緑に覆われ、前方部には複製の円筒埴輪が並べられている。この街なかの公園が都指定史跡、野毛 大塚( 古墳(世田谷区野毛1-25-1)である。
多摩川下流の左岸は、ちょうど多摩川の流れに立ちはだかる堤防のような台地を形成している。多摩川を見下ろす絶好の台地に根拠を置いた豪族が現れ、4世紀から7世紀にかけて田園調布古墳群(大田区)と野毛古墳群(世田谷区)を築いている。野毛大塚古墳は、大田区の亀甲山( 古墳(後円部直径60m、前方後円墳)、宝来山( 古墳(後円部直径52m、前方後円墳)と並んで最も大きなもので、南関東屈指の古墳という。
野毛大塚古墳からは、明治30年に石棺が見つかり調査が行われたが、平成元年からの学術調査で、周囲に幅13mの周濠をめぐらした帆立貝式の珍しい前方後円墳であることがわかった。同時に鉄鏃、直刀、甲冑など都内随一といわれる副葬品が発見されて話題になった。このため、墳丘は築造当時の姿に復元され、歴史公園となっている。
野毛の地名は、崖地を意味するようである。ヌケ(抜山)、ニゲ、ノギなどの崖地名は全国に散在し、横浜市にも野毛山がある。
多摩川流域で目を引くのは左右両岸に同じ地名が並ぶことで、野毛の対岸には川崎市高津( 区下野毛がある。同様に瀬田と高津区瀬田、等々力( と川崎市中原区等々力、大田区下丸子と中原区下丸子、さらに狛江市( 和泉( と川崎市多摩区和泉などという具合に、対岸に同じ地名を発見できる。むろん、これは地続きの同じ村が多摩川の氾濫と変流で引き裂かれた歴史の跡である。
多摩川は、まさに暴れ川だったのである。
多摩川下流の左岸は、ちょうど多摩川の流れに立ちはだかる堤防のような台地を形成している。多摩川を見下ろす絶好の台地に根拠を置いた豪族が現れ、4世紀から7世紀にかけて田園調布古墳群(大田区)と野毛古墳群(世田谷区)を築いている。野毛大塚古墳は、大田区の
野毛大塚古墳からは、明治30年に石棺が見つかり調査が行われたが、平成元年からの学術調査で、周囲に幅13mの周濠をめぐらした帆立貝式の珍しい前方後円墳であることがわかった。同時に鉄鏃、直刀、甲冑など都内随一といわれる副葬品が発見されて話題になった。このため、墳丘は築造当時の姿に復元され、歴史公園となっている。
野毛の地名は、崖地を意味するようである。ヌケ(抜山)、ニゲ、ノギなどの崖地名は全国に散在し、横浜市にも野毛山がある。
多摩川流域で目を引くのは左右両岸に同じ地名が並ぶことで、野毛の対岸には川崎市
多摩川は、まさに暴れ川だったのである。
(掲載号:12月04日号)
