週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
目黒不動 大日如来 比翼塚
独鈷の滝や前不動、甘諸先生青木昆陽の墓などがある目黒不動には、他にも見逃せないものがある。
本堂裏の「銅造大日如来像」は、天和3年(1683)江戸の鋳物師によって鋳造されたものである。宝髪、頭部、体、両腕、膝などの如来の身体を十数カ所に分けて鋳造してから一体にまとめるという「吹き寄せ技法」で造られている。
仁王門前には、権八・小紫の比翼塚が建っている。歌舞伎『浮世柄比翼稲妻』などの二枚目役白井権八、実説では平井権八と新吉原三浦屋の遊女小紫の話は、品川区西五反田の安楽寺にある連理塚を取り上げたときに紹介した。
簡略すると、殺人などの悪事を働いた権八が鈴が森で処刑された後、恋人の小紫が後追い心中したというものである。比翼塚も当然、連理塚と同じように二人の供養のために建てられた。
江戸時代、目黒不動の門前に禅宗の一派である普化宗の寺があった。『江戸名所図鑑』に「虚無僧寺」とある東昌寺である。虚無僧は普化宗の宗徒のことで、尺八を吹いて諸国を巡った。
権八は生前、東昌寺の隋川和尚に尺八を習ったことがあり、その縁で和尚は処刑された権八を同寺に葬った。これを知った小紫は、廓を抜け出し権八の墓前で自害した。二人を憐れんだ人々は同寺に比翼塚を建てた。
東昌寺は後に廃寺となったため、塚は何カ所か転々とした後、現在地に移された。ただ、権八・小紫の比翼塚が目黒にあることは広く知れ渡っていたようで、「餅花をひっさげて来る比翼塚」などと川柳の題材にもなっている。
餅花は目黒不動門前の名物だったことは既に紹介した。それに負けないほど塚も有名だったようで、二人も成仏したことだろう。
(掲載号:01月24日号)
