週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
出世 祈願の 蛸薬師
目黒不動の東方に蛸薬師と呼ばれている寺がある。『江戸名所図鑑』にも「蛸薬師如来」として載っている。
「天台宗成就院境内に安ず。本尊薬師如来は慈覚大師の作なり。世俗伝へ云ふ、この本尊に祈願ある者は、蛸を絶ちてこれを念ずるに、果たして利益ありとて、絵馬にも蛸の形を画きて捧ぐ」
成就院は、目黒不動の滝泉寺と同じように慈覚大師円仁が開山と伝えられている。蛸絶ちして祈ればご利益があると『図会』がいう本尊の薬師如来は大師の作といわれ、三匹の蛸にささえられる蓮華座に乗っている。
同院の『蛸薬師縁起』によると、平安時代初期の高僧慈覚大師は唐に渡って修行したが、帰国の際、船が暴風に襲われた。そのとき、大師が自作の持仏薬師如来を海に投じると風が収まった。
無事に帰った大師が国内行脚に出て肥前松浦(現佐賀県)にきたとき、海神に捧げられた薬師像が蛸に乗って海上に現れた。隋喜の涙にむせんだ大師がその薬師の姿を刻んだのが蛸薬師の由来、というわけである。
その後同院は衰微したが、徳川三代将軍家光は再興した。折から、二代秀忠の側室お静の方は、将軍の三男に生まれながら日陰の身だった我が子、後の保科正之の栄達を蛸薬師に祈願した。ご利益てきめん正之は大名となり、四代家綱の名補佐役として幕政に重きをなすと同時に会津藩主としても善政をしいて領主から尊敬された。
お静の方はお礼として地蔵を泰納した。「お静地蔵」で今も境内に祀られ、出世、縁結び、子宝、安産にご利益があるといわれている。
また再興のとき、同寺は江戸の防火のため徳川家がゆかりが深い地遠州(静岡県)の秋葉権現を勧請、秋葉山別当を名乗っている。
(掲載号:01月31日号)
