週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

世田谷吉良氏 崎姫伝説と 幻庵覚書

 16世紀中頃、武蔵野に咲いたロマンスが東京・世田谷の伝説に残っている。

 小田原に本拠を置いた北条氏の2代目、氏綱の息女崎姫が天文6年(1537)春のころ夢に薬師如来のお告げを聞いた。「白鷺の足に和歌を結んで空に放て」というのである。崎姫の歌を携えて舞い上がった白鷺を、たまたま鷹狩に出ていた世田谷城主、吉良頼康の鷹が捕らえ、これが縁となって2人が結ばれた。めでたし、めでたし。

 しかし、これはあくまで伝説であって、新興の戦国大名北条氏は足利将軍の一族という名門吉良氏との縁組を強く望んでいた。

 吉良氏といえば、元禄忠臣蔵の吉良上野介が思い出されるが、あれは本家筋。三河国吉良庄(愛知県吉良町)を領有したことから吉良と名乗っている。室町時代中期にその一支族が世田谷に城を構えて世田谷吉良氏となった。強力な武士団ではなかったが名門に属していたので、北条氏綱は北条一族の家格を上げるのに利用したらしい。

 世田谷吉良氏は頼康と、その養子の氏朝の2代にわたって北条氏から夫人を迎えている。伝説でも崎姫は化粧料として3千石の領地を持参したという。

 氏朝に嫁入りしたのは3代目氏康の娘である。この姫君に宛てて氏康の叔父、北条幻庵が婚家での作法を懇切に教え諭した「幻庵覚書」が現存している。それは家庭での夫や姑の呼び方、家臣や出入りの商人との対応など、24箇条に及んでいる。

 姑は「御大方」(貴人の母の尊称)とお呼びし、大事なことは「御大方」に一々指図を受けるようにしなさい。「幻庵がそう教えたと申せばよい」と配慮も細かい。時は永禄5年(1562)戦国の嫁姑関係をも窺わせる貴重で興味深い文書である。

(掲載号:02月14日号)