週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

羅漢寺 名物の サザエ堂

 下目黒の五百羅漢寺が本所5ツ目、現在の江東区大島3丁目にあった当時、530体にも及ぶ羅漢像の他にも、江戸市中に知られた名物があった。寛保元年(1741)に建てられた「三匝堂」というお寺で、『江戸名所図会』にも紹介されている。

 「総門の内左の方、天王殿にならぶ。本尊は白衣観音・魚藍観音および弥陀・勢至・地蔵寺を本尊とす」と、ここまでは何の変哲もない堂のようである。

 だが、これに続く「上繞は西国、中繞は坂東、下繞は秩父、以上百番の礼所観音の霊跡を模擬して、百体の観音、また華厳会上五十三の善知識の像を安置す」とあるくだりを読むと、どこか風変わりな建物ではないかとの感じを受ける。

 堂の内部は、同寺中興の祖象和尚の工夫によって「右繞三匝にして、おぼえず三階の高楼に登る事を得はべり」という仕組みになっていたのである。

 要するに、西国、坂東各三十三、秩父三十四の計百の観音像などを拝みながら右に3回めぐって行くと最上階の3回に達するラセン式の建物で「後世三匝堂を造るの規範とす」というものだった。

 匝は「めぐる」という意味で『図会』にある三匝堂は3回めぐる堂という俗称で、正式には円通閣といった。もっとも江戸市民は三匝堂ともいわず、サザエ堂と呼んでいた。ラセン状の形がサザエの尻に似ていたからである。

 観音に魚藍もあればなまぐさき栄螺堂とはいわし煮た鍋
 蜀山人の狂歌だが、サザエ堂は川柳にも詠まれている。

 大きな栄螺観音が百はいり
 三匝堂よりサザエ堂のほうがやはり親しみやすく、狂歌や川柳の題材としても打って付けである。

 残念ながら現在の同寺にサザエ堂はない。

(掲載号:03月07日号)