週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
豪徳寺に 福を呼ぶ 招き猫
豪徳寺は、古くは吉良氏の世田谷城の城内にあった弘徳院という庵だった。室町時代の文明12年(1480)に吉良政忠が叔母の為に建てたといわれ、豪徳寺には今もその法号を刻んだ古い法篋印塔が残っている。
東急世田谷線の宮の坂駅から東へ5分も歩くと、宏壮な豪徳寺の前に出る。落ち着いた松並木の参道が北へ伸び、大きな山門が見える。
山門を入ると正面に堂々たる仏殿が立っている。江戸時代の延宝5年(1677)の建造で、当時明から来日した禅僧隠元がもたらした黄檗宗の建築様式をよくとどめているという。むろん、これは吉良氏ではなく、彦根藩主井伊氏の時代のもの。だから、仏殿の屋根の煉瓦には井伊家の家紋である橘と井桁が金色に輝いている。
井伊氏は譜代大名のなかでも特に家格が高く、歴代藩主のなかから多数の大老を出している。とりわけ有名なのが幕末の井伊直弼だろう。このため、本領の彦根よりも江戸在勤期間が長くなることが多く、3代将軍家光は江戸滞在時の賄い料として世田谷と佐野(群馬県)を井伊氏の所領に加えたのである。
家光から世田谷を拝領した井伊直孝はしばしば世田谷に足を伸ばした。真夏のある日、直孝が弘徳院の門前に差しかかると、1匹の猫が右手を挙げてしきりに招き入れる。お供の家臣は奇怪な猫と身構えたが、直孝はこれを止めて寺内に休みに入った。その時、激しく雷鳴が轟いて、先程まで直孝がいた樹木の下に落雷があった。直孝は危うく難をのがれたのである。
以来、弘徳院は井伊氏とともに伽監を発展させ、その名も直孝の法号豪徳天英大居士に因んで豪徳寺とした。福を呼んだ招き猫は、今でもここの名物である。
(掲載号:03月21日号)
