週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

至誠の人 松陰神社 に眠る

 『宝島』や『ジキル博士とハイド』でおなじみの英国の作家ロバート・L・スティーブンソンが『吉田寅次郎』という作品も書いている。吉田寅次郎とは、幕末の志士で安政の大獄の犠牲となり僅か30歳で散った吉田松陰の通称である。

 田中彰『吉田松陰』によると、スティーブンソンの父トマスは明治初年の日本の灯台事業のコンサルタントだったという。明治11年(1878)か翌12年の頃、長州藩の出身で東京開成学校(現・東京大学)教授補だった正木退蔵が渡英した際、スティーブンソンに会って松陰の思い出を語ったのがきっかけで、この作品が生まれた。

 正木退蔵は13歳のころ松下村塾で学び、維新後に東京職工学校(のちの東京工業大学)の初代校長や外交官を勤めた。スティーブンソンは父の縁で日本に関心があったにせよ、退蔵から聞かされた松陰の言行に強い感銘を受けたに違いない。ずばり「熱烈で誠実な人」といい、「学問に対する情熱はすこぶる激しかった」例として
 <松陰が読書中の居眠りを防ぐために、夏には蚊を着物の袂に入れてとまらせて眠気を醒まし、冬なら履物を脱いで、裸足で雪の上を走った>
 などのエピソードが挙げられる。

 吉田松陰が松下村塾で教えたのは安政3年(1856)夏から5年暮れまでの僅か2年半だった。だが、その門下から高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有明、品川称次郎ら明治維新の俊秀を輩出している。

 松陰は安政6年10月、江戸・伝馬町の獄舎で処刑され、遺体は小塚原回向院に葬られた。文久3年(1863)門下の高杉らが世田谷・若林の長州藩抱屋敷内(現・松陰神社)に移葬した。

(掲載号:04月25日号)