週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
目黒の お酉さま 大聖堂
目黒通りと山手通りの交差点南西角に鎮座する大鳥神社は、旧目黒村の総鎮守である。
「同所不動尊より北の方二町ばかり隔つ」と『江戸名所図会』にある。不動尊とは当然目黒不動を指している。
創建は、平安時代初期の大同元年(806)と伝えられている。祭神は日本武尊で、妃の弟橘媛と国常立命が合祀されており、次のような伝説がある。
東国遠征に出た日本武尊が目黒の地にさしかかったときに大勢の家来が眼病になってしまった。すると尊の夢の中に土地の神の国常立命が現れて「眼病には木の実の汁が効く」と告げた。尊が早速家来たちにお告げ通りにさせると眼病はたちどころに治った。尊はお礼として剣をそこに建つ社に奉納した。
この伝説の地に改めて造営されたのが大鳥神社と伝えられており、尊が奉納されたという十握剣は今も社宝として残っている。
神社の行事として最も有名なのは、同神社の通称を「目黒のお酉さま」というように毎年11月の酉の市である。これも日本武尊が没後白鳥になったという伝説と関係があるようだが、今も酉の市の賑わいは山の手一といっていいだろう。
神社の隣は「別当は天文宗にして大聖院と号す」と『図会』に記されている大聖院である。戦国時代末期の弘治3年(1557)開基と伝えられ、境内の隅に切支丹灯籠と呼ばれている3基の石柱が立っている。
大正15年に旧島原藩の屋敷跡から移されたもので、真ん中の1基が最も背が高く、その棹石にT字に変形した十字架とキリスト像と思われるものがかすかに刻まれている。だが、本当にキリシタンに関係があるかどうかの確証はない。この他、境内には古い道標もある。
「同所不動尊より北の方二町ばかり隔つ」と『江戸名所図会』にある。不動尊とは当然目黒不動を指している。
創建は、平安時代初期の大同元年(806)と伝えられている。祭神は日本武尊で、妃の弟橘媛と国常立命が合祀されており、次のような伝説がある。
東国遠征に出た日本武尊が目黒の地にさしかかったときに大勢の家来が眼病になってしまった。すると尊の夢の中に土地の神の国常立命が現れて「眼病には木の実の汁が効く」と告げた。尊が早速家来たちにお告げ通りにさせると眼病はたちどころに治った。尊はお礼として剣をそこに建つ社に奉納した。
この伝説の地に改めて造営されたのが大鳥神社と伝えられており、尊が奉納されたという十握剣は今も社宝として残っている。
神社の行事として最も有名なのは、同神社の通称を「目黒のお酉さま」というように毎年11月の酉の市である。これも日本武尊が没後白鳥になったという伝説と関係があるようだが、今も酉の市の賑わいは山の手一といっていいだろう。
神社の隣は「別当は天文宗にして大聖院と号す」と『図会』に記されている大聖院である。戦国時代末期の弘治3年(1557)開基と伝えられ、境内の隅に切支丹灯籠と呼ばれている3基の石柱が立っている。
大正15年に旧島原藩の屋敷跡から移されたもので、真ん中の1基が最も背が高く、その棹石にT字に変形した十字架とキリスト像と思われるものがかすかに刻まれている。だが、本当にキリシタンに関係があるかどうかの確証はない。この他、境内には古い道標もある。
(掲載号:05月16日号)
