週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

いまも閑寂 世田谷 八幡宮

 江戸後期に十方庵敬順という老僧が『遊歴雑記』という随筆を書き残している。茶道具持参で江戸の周辺を歩き回っているから東京ウォーカーの先駆者でもある。
 19世紀初頭にあたる文化年間のことだが、十方庵は瀬田ヶ谷村豪徳寺にも足を伸ばしている。

 <境内爪先あがりに自然に高く、且広大に寂々夢々たり、栗嵐・ましら・諸鳥の声のみありて、静閑の伽といふべし>

 十方庵によると「江戸より凡3里半」なのだが、この瀬田ヶ谷村の雰囲気には俗事を忘れ道心が生ずるような趣があり『不聞悪声 不見悪人(悪いニュースは聞かないし、悪人もいない)の全書』が思い出されると絶賛している。

 すこし後の天保5年(1834)に出た『江戸名所図会』には宏壮な豪徳寺の境内腑図が紹介されており、近くに「吉良氏城祉」(世田谷城祉)や「八まん」(世田谷八番宮)が出ているので、現在の町並みと重ね合わせながら楽しむこともできる。

 今なら東急世田谷線の宮の坂駅で降りて、東へ5分も歩けば豪徳寺だし、世田谷八幡宮は駅から西へ徒歩1分でお参りできる。さすがに江戸時代の閑寂は遠いが、のどかな城下町に似た空気がある。

 世田谷八幡宮(世田谷区宮坂)は、寛治5年(1091)八幡太郎義家の勧じょうという伝承もあるが、世田谷城主だった吉良氏の氏神で、天文15年(1546)に吉良頼康が社殿を建立している。ここの秋季大祭(9月15日)の奉納相撲は頼家時代に始まり、いまも東京農大相撲部の奉納相撲が名物になている。

 八幡宮の東側、東急世田谷線と並行している坂道が古くから『宮ノ坂』と呼ばれ、地名もそこから出ている。昭和41年実施の町名は「ノ」を除いている。

(掲載号:05月23日号)