週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

夏の風物詩 世田谷の 鷺草伝説

 鷺草は夏の花である。ラン科に属する多年草で、日当たりのよい湿原に群生することがある。真っ白な花びらが白鷺の飛ぶ姿にそっくりで、清楚な姿と、その名の由来がぴったり重なる花である。
 世田谷の西南部、奥沢はかつて自生地があり、鷺の谷(奥沢5丁目付近)の地名もあった。そして、鷺草にまつわる伝説が残っている。

 室町末期の戦国時代、世田谷城の吉良氏が敵軍に包囲され、支城の奥沢城(いま九品仏の浄真寺付近)に救助を求めた。その使いにたったのが、かねて奥沢城主から贈られて世田谷城内に飼われていた白鷺だった。しかし、援兵を求める手紙を足に結んだ白鷺は美しい姿が目立ったため、奥沢城を目前にしながら敵兵の矢に射落とされた。そのあと鷺の落ちた湿原に可憐な鷺草が咲くようになった、と。

 だが、伝説と歴史はうまくかみあわないことが多い。記録を追うかぎり世田谷城には戦争の歴史がない。『新修世田谷区史』によると、世田谷吉良氏には合戦の記録がたった1度あるだけで、戦国時代では極めて珍しいという。

 文明12年(1480)、世田谷吉良氏の6代目成高が江戸城を守る太田道潅に協力し、数々の合戦で戦功を立てたという道潅の書状があるが、これには道潅がわざわざ「吉良殿様」と敬称を付けている。足利将軍の一族で特別扱いだったことがわかるが、合戦参加はこれだけなのである。

 奥沢城を本拠とした大平氏は吉良の家臣だったが、戦国末期には主君の了解の下で小田原の北条氏に臣従しており、戦争が得意ではなかった主従は徳川政権への過渡期を苦心して生きていたようである。

 昭和43年、世田谷区は鷺草を区の花に選定した。盛夏に清楚な姿を浄真寺(東急大井線九品仏駅下車)内の鷺草園で楽しめる。

(掲載号:06月13日号)