週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
馬引沢から 上馬・下馬 さらに駒沢
世田谷区に、馬引沢の地名がある。地元にはこんな地名伝説があるそうだ。
文治5年(1189)、源頼朝が奥州の藤原氏を討伐に向かう途中、世田谷区内の蛇崩川沿いの沢地で乗馬が深みに落ちて死んでしまった。このため頼朝は「馬を引いて渡れ」と命じた。以後、この沢地が馬引沢と呼ばれるようになった。いまの世田谷区下馬のあたりである。
三田義春著『世田谷の地名』によると、東京都多摩市や埼玉県日高市にも馬引沢があるという。いずれも足場の悪い湿地で、付近に古い寺社があることから、寺社への崇敬をこめて馬を引いて渡れという警告と解釈している。
世田谷の場合でも、頼朝がここを通ったかどうかの確証はない。しかし、蛇崩川(目黒川の支流)がその名の通り蛇行し、砂利土混じりの崩れやすい土質の沢地だから、地名の起源にそれほど違いはないようである。馬引沢の地名は古く、戦国時代の記録に出ており、付近に駒繋神社(世田谷区下馬4丁目)、駒留八幡(同区上馬5丁目)という古社があるのも興味深い。
駒沢の地名が誕生したのは意外に新しく、明治22年のことである。この年、上馬引沢、下馬引沢、野沢、弦巻、世田谷新町、深沢の6村が合併して駒沢村となった。「馬」は「駒」に通ずる。それに、「沢」のつく村が多い。隣に駒場(目黒区)があるのも影響したかも知れない。大正14年、駒沢村が町に昇格した際、上馬引沢は上馬に、下馬引沢は下馬に地名を簡略化した。
馬にかかわる地名が多いのは古代から馬の放牧地に充てられた武蔵の国柄なのだろうか。江戸時代の御鷹場だった駒場は明治になって騎兵、砲兵などの兵営に変わった。いま、世田谷、目黒は都内有数の文教地区で、次代の駿馬を育てている。
(掲載号:07月04日号)
