週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

祐天寺 累塚と 大絵馬

 祐天寺の開山祐天上人の名をより高めたのは、『江戸名所図会』にも載っている累伝説である。同書は累に「るい」のルビを振っているが、普通「かさね」と読まれている。

 下総国羽生村(現茨城県水海道市)の与右衛門の妻累は顔が醜い上に性質も悪く、たまりかねた夫に鬼怒川に突き落とされ殺されてしまう。以後、与右衛門が迎える妻は累の怨霊の祟りで次々に狂い死にするが、祐天上人の功徳で怨霊が解脱し、祟りが止む。『江戸名所図会』にある累伝説のあらましだが、この話を基にした幾つかの歌舞伎作品がある。現在よく上演されるのは『法懸松成田利剣』という芝居の踊りの場面『色彩間苅豆』通称『かさね』で、作者は『東海道四谷怪談』で知られる4代目鶴屋南北である。

 道ならぬ恋に落ちた腰元の累と与右衛門が心中を決意して木下川堤にさしかかると、鎌の刺さったドクロが卒塔婆に乗って流れてくる。鎌に見覚えのある与右衛門がそれを引き抜くと、美しかった累の顔がたちまち醜くなる。与右衛門は累の母菊とも関係してその夫の助を殺していた。ドクロは助で、与右衛門は同じ鎌で累を殺してしまい亡霊に祟られることになる。

 この踊りは長い間絶えていたが、明治末年に復活上演された。さらに大正9年、6代目尾上梅幸・15代目市村羽左衛門・5代目清元延寿太夫のトリオが東京・歌舞伎座で上演して大当たりを取り、以来人気舞踊となった。 

 祐天寺境内の鐘楼脇には、この3人が同15年に建てた「累塚」がある。さらに現在は累塚建立60年を記念した縦4m、横10mもの『かさね』の大絵馬も掲げられている。昭和61年、日本美術院同人の月岡栄貴氏らによって制作されたもので、踊りの場面に祐天上人が舞い降りる絵柄になっている。

(掲載号:07月17日号)