週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
江戸五不動 信仰伝える 目青不動尊
不動明王のお姿を見ると、火焔のなかで微動だにしない不動の姿勢が力強さにあふれている。もとは大日如来の使者として衆生救済に尽力するという信仰から出発しているが、平安末期には信者の苦しみを代わって引き受けてくれる「身代わり不動」の話が出てくる。速見侑『観音・地蔵・不動』(講談社現代新書)には園城寺の僧智興と弟子の美談が紹介されている。
智興が重病になり安倍晴明に祈祷してもらうと、だれかが身代わりにならないと助からないという。弟子の証空が身代わりを引き受けたが、あまりに苦しいので不動明王の画像に祈ると、不動さまが忿怒の目から涙を流し「汝に代わらん」と告げ画像が壇に落ちた。
不思議なことに証空の病はたちまち治った。
この話は鎌倉、室町時代には絵巻物にもなった。不動さまは縄を打たれて地獄に引き立てられるが、閻魔さまが驚いて不動(大日如来)を伏し拝み、不動さまは証空と地獄から帰還するという。
江戸時代に入ると、成田山新勝寺、多摩の高幡寺、相模の大山寺などの不動尊が庶民の信仰を集める。将軍家光は江戸近郊の要点5か所に目黒、目白、目赤、目青、目黄の五不動を定め、江戸の鎮護を祈っている。目黒、目白は地名になっているが、目赤は駒込の南谷寺、目黄は三ノ輪の永久寺、目青は麻布谷町の観行寺の御本尊で尊崇を受けた。
目青不動尊は明治15年、青山の教学院に移り、さらに明治41年に青山から現在の世田谷区太子堂4丁目に遷座している。教学院は慶長9年(1604)江戸城内の紅葉山に開かれたという古刹で、旧小田原城主大久保加賀守一族の墓地がある。
目青不動の最寄駅は東急田園都市線・三軒茶屋駅。キャロットタワーのすぐ北側に接する位置にある。
(掲載号:08月29日号)
