週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

太子堂と 林芙美子 壺井栄

 作家の林芙美子は大正14年から15年にかけて世田谷区太子堂に住んでいる。円泉寺(世田谷区太子堂3-30-8)の墓地に接した二軒長屋で、隣にアナキスト詩人の壺井繁治と作家の栄夫妻が住んでいた。

 名作『放浪記』(新潮文庫)には貧窮の生活が赤裸々に描かれている。

 <萩原さん(プロレタリア詩人の萩原恭次郎)が遊びにみえる。/酒は呑みたし金はなしで、敷蒲団を一枚屑屋に1円50銭で売って焼酎を買うなり。お米が足りなかったのでうどんの玉を買ってみんなで食べた>

 壺井栄は昭和27年に小豆島を舞台にした『二十四の瞳』で脚光を浴びるが、大正末年の苦難の時代を『はたちの芙美子』で回想している。

 <それは、まだ昭和にもならぬ大正14年のことだ。私たちは世田谷の太子堂の森かげにあった二軒長屋の隣同士に住んでいた。まだ20歳を出たばかりの芙美子さんは、詩人野村吉哉氏といっしょに暮らしていて、彼女自身も詩をかき、童話をかいて、乏しい生活をしていた。(中略)そのころの芙美子さんの貧乏ぶりは徹底したもので、その生活の足し前のために書いた童話などを新聞社や雑誌社へ売り込みにゆくのに、いつも私の着物を着て出かけていた。からだの大きな私の着物を、人並みはずれて小さな芙美子さんが着るのだから、着つけに多少の苦労もいるわけだから、身幅の余りを彼女はじょうずに下前にたくしこんで、にこにこして出かけていった>

 円泉寺は文禄4年(1595)賢恵上人が聖徳太子の像と十一面観音を背に当地を訪れ「此の地に霊地あり。円泉ヶ丘という」と夢に太子のお告げを戴いたことから、翌年一寺を建立した。太子像を安置する太子堂から、現在の地名が出ている。

(掲載号:09月05日号)