週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
兎狩 ゴルフ 金メダル
明治14年(1881)2月、明治天皇が駒沢で兎狩をご覧になっている。『明治天皇紀』によると、2月6日、荏原郡上馬引沢村(世田谷区上馬付近)に行幸とあり、28歳の青年天皇は近衛将校らと騎馬で駒沢の原野を楽しまれたらしい。獲物は兎1羽、狸1頭と記録されている。むろん当時は鉄道どころか、道路も整備されておらず、武蔵野が広がっていたのだろう。
駒沢の地名が生まれたのは意外に新しい。明治22年、上馬引沢、下馬引沢、野沢、弦巻、世田谷新町、深沢の6村が合併したさい、馬と沢に縁の深い土地柄だったため駒沢村でまとまったという。
その駒沢の原野に目をつけたのが政財界で豪腕を振るった井上準之助で、大正3年、東京で初めてという駒沢ゴルフ場が開場する。当初は芝がつかず、ゴルファーの白足袋が泥んこになったという話が残っている。白足袋プレーも珍妙だが、やがて東京の新しい社交場として注目を集めるようになる。
大正11年4月、来日した英国皇太子(のちのエドワード8世、退位してウインザー公)が日本の皇太子(昭和天皇)と親善ゴルフを楽しまれたのもここである。
昭和7年、ゴルフ場が埼玉県朝霞に移転したあと、駒沢は東京オリンピックの第2会場として脚光を浴びる。あの女子バレーの"東洋の魔女"たちが強敵ソ連を破って金メダルを獲得した瞬間である。
昭和39年10月23日、駒沢屋内球場で日本チームはお家芸の驚異的な回転レシーブを披露して見せ、ソ連選手の猛攻をみごとに跳ね返した。女子の金メダルは1936年ベルリン大会の前畑秀子選手以来だった。
この第2会場一帯は、駒沢オリンピック公園と命名され、緑に包まれた総合運動公園になっている。
(掲載号:10月03日号)
