週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

新富士 遺構と 庚申塔

 かつての目黒の名所であり芝居に仕組まれたほどの衝撃的な事件の現場ともなった中目黒の富士塚・目黒新富士はどの辺りにあったのだろう。

 東横線中目黒駅近くの目黒川左岸、目黒学院と東京共済病院とのほぼ中間に東方の高台へ上る狭い坂がある。曲がりくねっている上にかなりの急勾配の途中に「別所坂」と書かれた古びた木の標示が立っている。それには、別所は本来新しく開いた土地のことだが、目黒では突き当たったところ、または行き止まりの意味で使われていたとある。

 この坂を登り切ると右手にKDD(国際電電)研究所があって、入り口わきに「目黒の"新富士"と新富士遺跡」という標示がある。高さ15?もの目黒新富士は、この付近にそびえていたわけである。その痕跡は昭和半ばまで残っていたようだが、昭和34年に研究所が建設されたときすっかり整地され、新富士の中腹にあった3つの碑石が庭に残っているだけである。

 ただ平成3年秋、区が行った付近の発掘調査で地下式遺構が見つかり、その奥から祠や大日如来像が出土した。調べた結果、遺構は富士講の人たちが新富士を模して地下に造ったものとわかり、「新富士遺跡」と名付けて再び地下に埋め戻したという。

 新富士は高くそびえていただけでなく、地下にまで細工が施されていたわけである。

 この新富士の標識の向かいには「別所坂上庚申塔」と名付けられた6基の庚申塔がかたまって立っている。それぞれに青面金剛像や三猿、鶏、日月などが彫られており、寛文5年(1665)から明和元年(1764)にかけて造られたものだという。

 ということは、目黒新富士築造から取り壊し、それにまつわる殺人事件などは、これらの塔の前で展開されたわけである。

(掲載号:10月10日号)