週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

両区に またがる 猿楽塚

 目黒元富士跡がある目切坂を登りきると、東横線代官山駅に近い旧山手通りに出る。若者向きのしゃれたレストランやブティックなどが目立つこの道路は、目黒区と渋谷区のほぼ境界を走っている。

 ここを北西へ向かって行くと、左手のビルとビルの間の茂みの中に小さな丘がある。麓に鳥居が立っていて、今風のおしゃれな通りの中では特異な存在といえるだろう。

 猿楽塚で、大部分はその町名が塚に由来する渋谷区猿楽町に属している。だが一部は目黒区青葉台にかかっていて目黒の名所の1つでもある。『江戸名所図会』にも「去我苦塚」として記載されており、その名はかなり古い時代から知られていた。

 「別所台と云ふ地にあり。塚の高さ一丈あまりあり。相伝ふ、昔渋谷の長者某、この辺の人民を語らひ、時としてこの塚の辺にて酒宴を催し、歓楽せしにより、苦を去るのを所謂なりと云ふ」

 現在、立っている標識の説明では、その昔鎌倉将軍源頼朝がここで猿楽を催したという伝説からとしている。いずれにしろ何か賑やかな催しが行われたりするものだが、その実体は古墳である。

 主墳と副墳に分かれていて主墳は高さ5メートル・直径20メートル、その南側の副墳は高さが2メートル・直径が12メートルほどである。6世紀から7世紀にかけての古墳時代末期に築造された円墳と推定されている。

 大昔、この付近は猿楽塚のような古墳が多かったとされており、『江戸名所図会』も何かあったところではないかと書いている。

 「この辺、すべて古へ、居館仏堂の類ありし地にや。近頃道路を作らんとして、岨を掘穿ちて、土中布目の紋理ある古瓦数枚を得たりといふ」

 おしゃれな代官山の通りは、大昔の古墳群を貫いているのかもしれない。

(掲載号:10月17日号)