週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
そのむかし 池尻大橋に 池があった
営団地下鉄半蔵門線とつながる東急田園都市線は、渋谷から二子玉川駅までが地下鉄になっている。その中間5駅のホームがカラータイルで色分けされているのが目立つ。
渋谷の次の池尻大橋駅が柿色、三軒茶屋はレモン色、駒沢大学駅は緑色、桜新町駅はサクラ色、用賀駅は水色。
池尻大橋駅は、かつての玉川電車大橋駅と池尻駅の間にできたので命名された。
駅から出ると玉川通り(国道246号線)で、頭上を首都高3号線が走っている。渋谷寄りに歩くと目黒川に架けられた大橋がある。19世紀初めに徳川幕府が編纂した地誌『新編武蔵風土記稿』の上目黒村の項目には、
<大橋 目黒川に架す。土橋にて長さ七間幅九尺>
と記載されている。目黒川の川幅は5、6間(約10メートル)ばかり、そこに長さ7間(12.6メートル)の土橋を架けていた。文化年間(1804-1818)に村民・勘右衛門が願い出てつくったとある。これで目黒区大橋の地名の起源はかなりよくわかる。
しかし、西に接する世田谷区池尻には、近辺に池は見当たらない。『新編武蔵風土記稿』には<郷名を伝へず>と手がかりがない。
地名の探索には、推理小説なみの面白さがある。『世田谷の地名』の筆者、三田義春は亡父の話を手がかりに推理を進める。それは三田が少年時代の昭和初年に聞いた話だ。
「(上目黒の大橋の近くに俗称<池>という旧家があり)その家の庭には小さな池があるのだが、その池は大昔にあの辺まで海が入り込んでいて、その海水が退くときに残した海水溜りが、長い間に真水になったのだそうだ」
池尻大橋駅の南には、有名な縄文時代の東山貝塚の遺跡(現・東山貝塚公園)がある。かつて池があったとしても不思議ではない。
(掲載号:10月24日号)
