週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
目黒川 水車場跡 東山貝塚
目黒元富士の遺物が移されて小高い境内が富士塚にもなっている氷川神社前の玉川通りを西へ進めば、この辺りの町名のもとになっている大橋が目黒川に架かっている。明治40年の玉川電車の開通により目黒区内では早くから都市化した地域で、今も東急田園都市線の池尻大橋駅から近く商店などが密集している。
しかし玉川線開通以前、目黒川沿岸は米作地帯といってよく、目黒川にはのどかに水車が回っていた。主に精米、製粉などの動力として使われていたもので、当時、辺りには14の水車があったという。
やがて、ここも工業化の波に洗われるようになると、水車の動力は薬種の精製、ガラス磨き、煙草のきざみなどに利用されたが、大正末期にはほぼ姿を消した。今、大橋東南の目黒川沿岸に「目黒川水車場跡」の標識が立っている。
水車場跡の対岸には、川からやや離れるが「東山貝塚公園」がある。ここは明治時代から現北区西が原貝塚、港区芝公園内の丸山貝塚と共に貝殻や石器などが出土するところとして知られていた。
それが大正15年、付近の区画整理中に多くの竪穴住居跡や縄文中期の遺物が見つかり、考古学上の大発見として東山貝塚の名がより広く知れ渡った。この辺りの目黒河畔は、縄文時代から開けていたのである。
東山児童遊園とむきあう公園内には現在、樋口清之國學院大名誉教授指導による竪穴住居が復元されている。
直径約6メートル、深さ30センチほどの円形の床面の中央には炉がある。この円形の穴は柱や草などを使った円錐形の屋根状のもので覆われ、屋根の頂上には煙出しの窓が設けられてもいる。
この復元住居はガラス越しに内部をのぞけるようになっていて、東京の古代を偲ぶことができる。
(掲載号:12月05日号)
