週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
名園が あった 千代が崎
JR目黒駅西口、権之助坂や行人坂があるほうに出て駅前の目黒三田通りを北、恵比寿方面へしばらく行くと、左手に小公園がある。目黒区立三田公園で、その片隅に「千代が崎」の説明標示がぽつんと立っている。
今は建物が密集していてすぐには気付かないが、少し注意してこの辺りの地形を観察すると、通りの西側は傾斜地で坂が多い。つまり、三田通りや公園は台地の先端部分、崎であることが分かる。しかも、ここ千代が崎はその昔、景色のよいことで知られた江戸の名所だった。
「渋谷宮益町より、目黒長泉律院へ行く道の傍、芝生の岡をいふ。佳景の地にして永峯に属せり。絶景観といふは、松平主殿候の別荘の号にして、閑寂無為自然にその地に応ず」
『江戸名所図会』の記述で、長泉律院は今も中目黒に健在の名刹である。松平主殿頭は肥前(長崎県)島原藩主で絶景観と名付けられた下屋敷がここ千代が崎にあった。
屋敷は当然広大な面積を占めていたわけで、三田公園の南西にある都立教育研究所の敷地はその庭園の一部だった。庭には滝が注ぐ「千代が池」という広い池があった。
南北朝時代の南朝の武将新田義興が多摩川矢口の渡しで足利方に謀殺されたのを悲しんだ側室の千代が投身自殺したことからそう呼ばれたと伝えられる。安藤広重の『名所江戸百景』に「目黒千代が池」がある。
前面の池に何段にもなって流れ落ちる滝が注ぎ、池の畔や崖上は満開の桜と緑の松といった構図で、池に突き出たところから滝に向かって立つ女性が3人描かれている。滝はこの辺りを流れていた三田用水の水を利用していたもので、傾斜地を巧みに利用した庭園だったのだろう。
今の研究所に、その面影は求められない。
今は建物が密集していてすぐには気付かないが、少し注意してこの辺りの地形を観察すると、通りの西側は傾斜地で坂が多い。つまり、三田通りや公園は台地の先端部分、崎であることが分かる。しかも、ここ千代が崎はその昔、景色のよいことで知られた江戸の名所だった。
「渋谷宮益町より、目黒長泉律院へ行く道の傍、芝生の岡をいふ。佳景の地にして永峯に属せり。絶景観といふは、松平主殿候の別荘の号にして、閑寂無為自然にその地に応ず」
『江戸名所図会』の記述で、長泉律院は今も中目黒に健在の名刹である。松平主殿頭は肥前(長崎県)島原藩主で絶景観と名付けられた下屋敷がここ千代が崎にあった。
屋敷は当然広大な面積を占めていたわけで、三田公園の南西にある都立教育研究所の敷地はその庭園の一部だった。庭には滝が注ぐ「千代が池」という広い池があった。
南北朝時代の南朝の武将新田義興が多摩川矢口の渡しで足利方に謀殺されたのを悲しんだ側室の千代が投身自殺したことからそう呼ばれたと伝えられる。安藤広重の『名所江戸百景』に「目黒千代が池」がある。
前面の池に何段にもなって流れ落ちる滝が注ぎ、池の畔や崖上は満開の桜と緑の松といった構図で、池に突き出たところから滝に向かって立つ女性が3人描かれている。滝はこの辺りを流れていた三田用水の水を利用していたもので、傾斜地を巧みに利用した庭園だったのだろう。
今の研究所に、その面影は求められない。
(掲載号:12月12日号)
