週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

弦巻の由緒 実相院と 是清翁の鬚

 緑と水は人の心に潤いを与えてくれる。

 世田谷区教育会館(世田谷区弦巻3-16-8)には図書館とプラネタリウムがある。北隣の区立松丘小学校との間は自然観察広場になっていて、プラネタ通りと名付けられたプロムナードにせせらぎが流れている。その流れにはドジョウや金魚が棲んでいる。

 「オタマジャクシやザリガニもいるよ」

 プロムナードを清掃中の小学生がそう教えてくれた。

 残念ながらこのせせらぎは人工のものである。しかし、せせらぎの下には蛇崩川という自然の川が暗渠で流れている。蛇崩川は馬事公苑(世田谷区上用賀)付近を水源とし上馬、下馬を蛇行しながら、東急東横線中目黒駅付近で目黒川に合流する延長約5?の小河川で、河道は蛇崩川緑道として親しまれている。

 弦巻の地名は、世田谷と並んで、永和2年(1376)の古文書に初出する。室町幕府3代将軍足利義満の時代で、世田谷を居城とした吉良治家が鶴岡八幡宮に「世田谷郷上絃(弦)巻」の半分を寄進するという文書である。

 プロムナードの広報板に、地名が解説されていた。
 <今は「弦巻」という字を書きますが、「つる」には古くは「水流」の意味もあり、このあたりは大雨のときなど三方の大地から水が流れ集まって渦巻いた様子から、昔の人は「つるまき」と呼びました>

 世田谷吉良氏の吉良氏朝は、徳川時代に入って実相院(同区弦巻3-29-6)の地で他界、そこに葬られた。

 実相院には「高橋是清翁之鬚墓」がある。是清翁といえば昭和恐慌に豪腕で対処し、2・26事件で暗殺された元首相。翁の愛顧を受けた永井如雲画伯がその鬚を生前にもらい受け保存していた。昭和61年、高橋家の了解を得て墓を建てた。

(掲載号:12月19日号)