週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

日本の民家を 描き続けた 向井潤吉

 遠く霞む山並みをバックに、どっしりした萱葺き屋根の農家が大地に根をおろしている田園風景。

 洋画家、向井潤吉は急速に姿を消していく日本の民家を描き続けた。

 明治34年、京都の宮大工の家に生まれた。
 <がんこなんだ。子どものころ京都の家を出て御殿場まで歩いて旅した。パリへ勉強に行ったときも歩いて帰国しようと決心したが、危険だととめられ残念だった。1年もあれば十分なんだが>(世田谷美術館図録『向井潤吉素描集』から)

 ルーブル美術館でアングルなど西洋古典画の模写に励み、けれんみのない技法に独特の持ち味を見せた。民家を題材にしたのは敗戦後である。
 <描くのと壊されていくのと競争でね、いいのがあればどこへでも飛んでいった>と晩年に感想をもらしている。

 また、こんな回想も。
 <むろん草屋根を主とする民家が興味と採集の中心目標だが、あまりに家のみに力点をおくと、何か設計図みたいな窮屈さと味気ない説明になりやすいので、むしろ家を大切にしながらも、その家をとり囲む風土風景を主とするようになってきた>

 わずかの間に目指す家の板屋根がトタン葺きに変わっていたりした。民家だけでなく、世情も変わった。一人旅の老画家は田舎で宿泊を断われた。自殺でもされたら迷惑と思われたらしい。

 向井は昭和8年、世田谷区弦巻2-5に居を定め、平成6年に他界するまでそこで制作を続けた。その旧居が多数の作品とともに世田谷区に寄贈され、そのまま世田谷美術館分館「向井潤吉アトリエ館」として公開されている。

 東急田園都市線駒澤大学駅から徒歩10分。昭和初期にはこの周辺にも向井の愛する民家が点在した。

(掲載号:12月26日号)