週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
光取寺 石仏群 横綱陣幕
上大崎一丁目の芝増上寺子院群の一つ、光取寺は寛永元年(一六二四)芝西久保に慶安寺という名で創建された。その後、麻布狸穴を経て天保三年(一六八三)現在地に移って光取寺と改称した。
その山門を入ると、右手に石仏や石塔がずらっと並んでいる。光取寺の「石仏・石塔群」と呼ばれているもので、いずれも江戸時代初期の寛文年間(一六六一〜七三)に作られた。
船型の石塔には釈迦、阿弥陀などの像が刻まれている。元、白金台町の直揮庵という寺にあったものだが、同寺が廃寺になったため光取寺に移されたという。
墓地には、幕末の名力士陣幕久五郎(本名石倉槙太郎)が眠っている。彼は文政十二年(一八二九)出雲に生まれ阿波、出雲、薩摩藩などの抱え力士となり、慶応三年(一八六七)第十二代横綱に推挙された。
明治維新後はもっぱら親方として活躍する一方、明治二十八年(一八九五)、当時の政財界人から寄付を募って江戸大相撲の発祥地といわれる深川の富岡八幡宮境内に巨大な「横綱力士碑」を建てた。
高さ三・五メートル、幅三メートルの石碑は重さ二十四トンの白御影石製で、巨人力士の碑など数ある同神社の相撲関係の碑の中でも一際目立つ存在となっている。裏面に現代までの歴代横綱の名前が刻まれているわけだが、この碑の両脇に陣幕と、ライバルの不知火光右衛門の土俵上の姿が刻まれている碑も建っている。
その碑文には「出雲陣幕久五郎 肥後不知火光右衛門 安政四年正月両国回向院ニ於テ大角力興行二日目ノ取組ナリ」と記されている。陣幕が横綱になる十年前の取組で、彼にとっては思い出の土俵だったのだろうか。彼は碑の建立から八年後、数え七十五歳で死去した。
(掲載号:01月04日・11日合併号)
