週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

安産成就 その名も誕生八幡

 駅名は目黒でも所在地は品川区のJR山手線目黒駅前の目黒通りを東へ行くと、左手にビルの間に挟まれるような幹事で神社がこぢんまりと鎮座している。よく見ると、石段上の社殿は鉄筋コンクリート造りの社務所の屋上に建っている。

 大都会の中では神様もなかなかゆったりとはできないと、同情したくもなるが、その名は誕生八幡神社というめでたい神社で、「誕生八幡宮」として『江戸名所図会』にも「文明の頃、筑前宇美の地より勧請す」と紹介されている。

 文明年間(一四六九〜八七)、太田道灌が夫人の安産を祈願してこの地に宇美八幡宮を勧請し、無事男子をもうけることができたので、その名が付いたといわれる。

 もちろん、以前は境内も広かったが、度重なる目黒通りの拡張で現在のような姿になった。しかし、入り口の左右には見事なイチョウの古木が生えている。

 本殿に向かって右側の木は幹回りが三・二五メートル、高さが一四・五メートル、左は幹回り二・七一メートル、高さ一一・五メートルで、樹齢は共に二百五十年〜三百年と推定されている。三度の移植にもめげず旺盛な樹勢を誇り、区指定の天然記念物になっている。

 社殿があるテラスには、お稲荷さんが祀ってある。次のような伝説で、重箱稲荷と呼ばれているお宮である。

 徳川三代将軍家光がこの辺りに鷹狩りにきたとき、空に放した鷹が獲物も取らずにどこかに飛び去ってしまった。困った家光がふと道端を見ると小さなお稲荷さんがあった。家光は弁当が入った重箱を社前に供え、鷹が戻るようにと祈った。すると間もなく鷹が戻り、家光は狩りを続けることができた。

 元はここより東の地にあったが明治四十二年、誕生八幡に合祀された。

(掲載号:01月18日合併号)