週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

品川区に縁があった長谷川伸

 『瞼の母』『一本刀土俵入』などの作者として知られる作家で劇作家の長谷川伸(本名伸二郎)は、品川区と縁の深い人だった。都新聞(現東京新聞)の記者から作家としてデビューした彼は、それまで生活のためろくに学校へも行けないような苦労を続けた。しかし、その体験が作家活動に生きることになる。

 横浜の土木請負業の家に生まれながら一家離散の悲運に見舞われ、彼が母と生き別れとなったのは明治二十年、数え四歳のときだった。自身の瞼の母と劇的に再会したのは昭和八年、四十六年後のことで、そのときは名の知れた作家となっていた。

 品川との縁は、現在も南品川に健在城南小学校に編入したときが最初だった。彼の『自傳随筆−新コ半代記』にこんな一文がある。
「品川の二日五日市村の妓夫の家に引取られ、南品川の城南小学校へはいつたのは十歳で、三年生に編入だつたのでしよう、小学科二年の履修証が出てきたから、それが証拠でそういう勘定になります」

 二日五日市村は今の南品川五丁目で、妓夫は遊女屋の男衆である。祖母に連れられて彼はその家に同居し、祖母は針仕事で孫を養った。

 同小は約半年で中退し品川を離れるが、その後北品川の仕出屋で出前持ちになった。このとき、沢岡楼という店の遊女おたかさんに「その若さでこんな所にいて末はどうなる」と意見され、金と菓子をもらった体験が『一本刀土俵入』の序幕の酌婦お蔦と取的駒形茂兵衛とのやりとりの元になった。

 一本立ち後も彼は北品川、大崎町下大崎(現東五反田一丁目)、西大崎桐ヶ谷(西五反田五丁目)など今の品川区内に住み、同三十八年死去。今、また上大崎の誕生八幡裏の高福院に眠っている。

(掲載号:02月01日号)